◎コピー論1◎文責:織田寛史

ペーパーです。
大変遅くなりましたが、先週4日(金)のベーシッククラスのレッスン終わりにコピー談義になりまして、キングから“コピー”について投稿するようご用命ございましたので、及ばずながら書き込ませて頂きます。
イチ生徒の立場でこんなコト書くなんて、大変恐れ多いですが、皆様の何かしらのお役に立てるようでしたら本望です。
あっでも…
「役に立つより仙骨たてろ」
ですね、山上さん。
なお、僕が書きますのは、あくまで僕個人の体験に基づく独自の展開内容ですので、より良い手法・主旨や、不備不足・反論ございましたら、ぜひぜひ皆様からもご意見・ご指摘をドンドン書き込み・追記して下さればと思います。
その起爆剤、きっかけになれば、こんな素敵な連鎖反応はございません。
僕も含めた皆様の更なる向上を願って、一つ声を上げさせて頂きます。
それでは、宜しくお願いします。
まず、どなたかのコピーをするにあたって、何は無くとも是非、これだけは心得て頂きたいのが、
“コピーはコピーであって、カヴァーや物真似ではない”
というコトです。
当たり前のように思われるかもしれませんが、意外や意外ごちゃ混ぜにされてる方が多いように、お見受けします。
そしてソコがブレると、要らぬ愚問が飛び交います。
それを防ぐ為にも、コピーはコピーであってコピー以外の何物でもないコトを、まず徹底的に認識して下さい。
たかがコピー、されどコピーです。
僕ぁコピーするならば、原曲そのまま、完全複製を目指すものだと思っています。
カヴァーや物真似のように、アレンジを加えたり、曲調を変えたり、過度な誇張、ご自身の想いなどをミックスしては絶対いけないと主張します。
もちろん、カヴァーや物真似自体を非難・否定しているのではありません。
カヴァーや物真似をするのであればコピーではなく、カヴァーや物真似をして下さい。
どちらが良い悪いではありません。
コピーにおいては、カヴァーや物真似ではなく“コピーする”が前提なので、悪しからず御了承下さい。
そしてコピーの最終到達地は“その人になる”です、それ以上でもそれ以下でもありません。
結論から申し上げれば、どうあっても絶対その人にはなれないんですが、あくまで心構えとしての目標意識はそうでなくてはいけません。
なぜか。
コンビニにあるコピー機を考えてみて下さい。
仮にアナタご自身が、コピーしたい原稿があるとして、そのコピー機を使ってコピーするとします。
だいたい白黒一枚10円かかります。
アナタは絶対、指定した通りのサイズで、まったく原物と同じ内容が印刷されて出てくると信じて疑わないはずです。
それなのにコピー機が勝手に、文章を足したり消したり、デコレーションを施したら、どうでしょう。
ただ、そのコピー機にも言い分があるようで、やけに熱く語るとします。
「俺なりに一所懸命がんばりました!
俺はそっちの方が良いと思ったんです!
もっともっと素敵にしたかったんです!
俺、世界初、思考するコピー機なんすよ!」
しかしながらコピー機に求めているのは、編集でも改竄でもなく、純粋に原稿そのままの複写のはずです。
いくら悪気がなく、良かれと思ってしてくれた行為も、まず“やって欲しいコトをやってくれない”なら本末転倒、お金は払えませんよね。
もはやコピー機とは呼べません。
これぞ要らぬお節介。
下手な考え休むに似たり、というものです。
これは空想のコピー機の話ではなく、現実コピーする際、僕達が陥りやすい事でもありますので、くれぐれご注意下さい。
それに、もしアナタご自身がコピーされる側の立場だったら、生半可に勝手なコトして欲しくないなぁと思いませんか。
自分という人間を、お相手の思惑や推測だけで勝手に解釈されたり、勘違いされたら、僕だったら残念に思います。
そのままコピーする気が無いなら、初めから自分をコピー対象にしなくても良いんじゃないかなぁって。
対象のお相手を尊重していないのと同じではないでしょうか。
もちろん、何事も取り組んでみて結果が理想に伴わない事はあります。
コピーも例外ではありません。
コピーしても、なかなかコピーできない事は多々あります。
名店の秘伝のタレほど、レシピを渡されて「どんどん真似するなり、美味しく作って召し上がって下さいな。」と許可を貰い、その通りに作っても再現できないように。
ですが、出来る出来ないではなく、コピーをしてみようという人間が、最初からコピーする気が完全で無いのはいかがなものか。
コピーに取り組む姿勢として、それは最悪です。
ルール無視のマナー違反だと考えます。
コピー対象である方はもちろん、真剣にコピーをして何かを学ぼうと取り組んでらっしゃる方々にも大変、失礼です。
やってみる前から自分の気持ちや考えをあぁだこぉだ言えるほど、僕達は偉いのでしょうか。
仮に発言できるとして、何を証明できたのでしょうか。
何より、僕達にそんな暇あるのでしょうか。
なのでコピーするなら、コピーするとお決めになったのなら、どうか謙虚に、コピーする事に誠実であって下さい。
できるだけご自身の主義・思考・趣向・自意識は排除し、自我を捨て去るよう努めて下さい。
コピー対象に素直になる態勢が整わないと、コピーは円滑に進みません。
たいへん言葉が悪いですが、コピーの一番の邪魔になるのが、実はこの自分というものです。
“コピーしたいところしかコピーしなくなる=コピーではない”
になるのです。
選り好んでしまうと結局、自分の制限を自分で決めてしまってるワケです。
語弊があったらゴメンなさい。
でも、何かしら変わりたくて、今を脱却したくて、活路を見出だす為に、コピーをされる方が大半ではないかと思われます。
ならばこそ、そんな自分に、ましてや売れてない自分や、今のままではダメだと思ってる自分に、こだわる事ほど、こんなに惨めな事は無いんじゃないかなぁと、僕ぁ思います。
そうでなくとも、どんなに忠実にコピーしても、素直になっても、自分というものは絶対に無くなりません。
消えないどころか、良くも悪くも溢れだします。
どれだけ恋い焦がれて憧れても、その相手にはなれないように、つまるところ自分は自分でしかないのです。
だからこそ“できるだけ”自分を空っぽにして下さい、空っぽに近付けて頂きたいのです。
実はコピーって、何か外力を吸収してプラスしていくのではなく、自分本来の内なる力を引き出したり発見する旅だったりします。
その可能性の一番の近道が、“今までの自分を”空っぽにする事だと、僕ぁ信じてます。
経験を積めば積んでらっしゃる方ほど、そして自分に執着されてる方ほど、0になるのは怖いコトでしょうし、勇気が大変要る事ですが、結果が出てしまえば、過程だって楽しめると信じてます。
僕個人としましては本当に何事も、
終わり良ければ全て良し、
終わり悪ければ全てダメ、
だなぁって思います。
もしダメだったら、ソコで終わらせなければ良いだけ。
ご検討とご健闘、お祈りします。
第二に、コピーする際「期限・期間」を決めるコト。
でないと、依存になります。
あくまで自立する為の一つの手段として、コピーはある事をお忘れなく。
第三に「目的」を以てコピーに取り組んで下さい。
(ちなみに先ほど“コピーする際、できるだけ自分を捨て去って取り組んで下さい”と申しましたが、あくまでこの目的達成の為に、目的ありきで、という意味です。
ややこしくってスミマセン。)
「何の為にコピーするのか。」
何でも構わないのですが、ココだけは自覚がないと、ただ“やらされてる”“やれば何とかなる”の依存精神に繋がります。
繰り返しますが、あくまでコピーは手段の一つで、目的そのものではありません。
この目的が無ければ、たぶん第二要素の「期間・期限」が定まりません。
何でも良いので、取り組まれる際は、必ずこの目的をご自身で問い続けて下さい。
さて、コピーに取り組む際の心掛けについては、これぐらいです。
僕の周りでのお話を伺うと、まず取り組む前の段階で引っ掛かってらっしゃるなぁと思ったので詳しく書きました。
ここまで本当に皆様の何か参考になってますでしょうか。
伝わってるでしょうか。
不安です。。
でも皆様を信じて!
続いては【コピーの効果】、最後に【コピーの仕方】についてお話します。
もうしばらく、お付き合い下さい。

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