さて【コピーの効果】は、ほとんど僕個人の感想に近いのですが、ご紹介します。
もう全く論理的ではありませんね、ゴメンなさい。。
まず何より、コピーをしますと、否が応でも“能動的”になります。
対象にする相手の方の情報収集、原稿の書き起こしや録画・録音など、自分以外のどなたもやって下さいません。
必然的に自分自身が動かなくてはいけなくなります。
すると、いかに自分という者が普段、周囲の方のお陰で成り立っているか、改めて気付かされます。
能動的になって初めて、講師の方や、現場のスタッフさんの苦労はとてつもないだろうなぁと、ソコに人間の力を感じます。
いつもレッスンで配られている資料や原稿も、自分以外の誰かが用意して下さったものです。
そんな“当たり前”すぎて見向きもしなかったコトに注目するようになります。
コピーでは、この“当たり前”のコトに目を向け、耳を傾ける意識がとてもとても重要です。
当たり前のコトは、自分だけに意識がいく人、自分ばかり見ている人は気付きません。
相手や周囲の方に目を向けて初めて、その有り難み・大切さに気付くからです。
当たり前に感謝し、愛さずにはいられなくなるコトが、毎度ながら僕ぁ何事においても要なんじゃなかろうかと痛感します。
少々話がズレましたが、コピーをしますと、テレビを“ちゃんと”見るようになります。
テレビを観た事はあっても、番組や番組の作り方に興味をもって意識して見た事は、僕ぁありませんでした。
自分として見る。
視聴者代表として見る。
作り手として見る。
与え手として見る。
買い手として見る。
売り手として見る。
ナレーターとして見る。
スタッフとして見る。
様々な見方で、物事の見え方は変わる気がします。
そうする中で“今”を知っていくという事も一つのポイントかもしれません。
“今の”テレビは何なのか全く知らないと、“今の”メディアに立ち向かうのは怖いです。
“これからの”事を決めていく手がかりの為にも、“今の”を見といた方が良いんだろうなぁ、多分ですが。
今、売れてるのは誰なのか、何なのか。
それは何故なのか。
そこで自分が売れるにはどうするのか。
いっぱいいっぱい能動的に受信していきましょう。
次に、自分の中に“基準”が出来ます。
コピー対象のお相手が、自分の判断材料の一つになる。
表現をする際の引き出しの一つになる、もちろん引き出しの中身になるかは別として。
最後に、コピーすると、自分が、いかにコピーできないかってコトも分かります。
自分が出る、という言い方が近いかもしれません。
自分から自分が分かれて、はじめて分かったり。
相手との違いが明らかになって、諦めたり。
たぶん効果はまだまだあるんだと思いますが、現段階の僕は以上です。
さぁ最後になりましたが【コピーの仕方】です。
もはや完全に、僕のやり方の公開でしかありませんが、それでも宜しければお付き合い下さい。
まずコピーする対象の相手を決めます。
この際、自分の好き嫌いや、肌に合う合わないではなく、今“本当に売れてる人(テレビのレギュラー本数など)”を調査した上で、その中から相手を選ぶコトを、まずはオススメします。
好みで選ぶと主観が入りやすくて、コピーではなく憧れで終わりがちです。
また名前だけ有名で、残念ながら今は売れてない方もたくさん居らっしゃいます。
次に、番組の録画をします。
この際、コピー対象の方が担当されてる全ての番組を録画します。
コレは、その方がどうゆう番組をキャスティングされ、違う番組の中での表現の差異をチェックする為です。
あと、やはり自分の好き嫌いの余地を作らせず、楽しない為でもあります。
つづきまして、録画したものから、原稿の書き起こしをします。
ひたすら、再生と巻き戻しを繰り返して、一音一句違わず書き起こしていきます。
たまに聞き取れない箇所が出てきまてイライラしますが、コピーとしては実は儲け物です。
その方の表現におけるクセの手がかりになるからです。
僕ぁこの書き起こし、30分番組で平均2時間は掛かります。
これだけは多分、一生慣れません。
本当にしんどいです。
嫌になります。
あまりに時間が掛かるので、僕ぁ書き起こしのみの日を作りました。
レッスンや現場などで原稿が普通にあるって、それだけで恵まれてるというか、当たり前だけど素敵な事です。
講師や作家やスタッフの方、本当にありがとうございます。
さぁ、書き起こしで原稿も用意できたら、ようやくコピー開始です。
僕の場合、まずひたすら録画したものから流れてくる映像を観ながら、ナレーションを何度も何度も聞き返します。
まだ原稿は見ません。
その声が脳裏に焼き付いて、いつでも声が浮かんでくるまで、とにかく聞きまくります。
この時、全く何も考えずに映像を見て、ナレーションを聞きます。
すると「緩急(音速)」と「強弱(音量)」「ブレスの位置」が、理解を通り越して勝手に自然と記憶されていきます。
そこまで聞き込んだら、はじめて原稿を見ながら、映像とナレーションに合わせて、自分も声に出して読んでみます。
「緩急」と「強弱」、「ブレスの位置」が合えば映像とズレたり、原稿の意味が分からなくなる事は、まずありません。
ここからようやく、「高低(音階)」と「生理」に注目し、細かく細かくコピーを深めていきます。
高低の要素が入ると緩急や強弱やブレスの位置の総合バランスが、取りやすくなったり取りにくくなる箇所が出てきます。
そこでクセや「生理」も一緒に出始めるのです。
生理とは、その原稿を読むにあたり、どうゆう姿勢で読んだか、どうゆう口の開け方か、どこを共鳴させたか、どう読みたかったのか、思惑、思い入れ、思考、やりたい事・やりたくない事・出来る事・出来ない事、体調、果てはどうゆう生き方をしてきたか、など他にも様々な要因で成っていると思われます。
この「生理」だけは推測するしかありませんが、生理なくして、その緩急・その強弱・その高低・そのブレス、その読みには成らないと僕ぁ思ってます。
相手の生理を感じるまでコピーするのは本当に大変ですが、相手の生理が見えるという事は、ほとんど自分の思考や自我を捨て去ろうとしている何よりの証だと思います。
そして生理のヒントは「なんで?」です。
なんで、こんな読み方?
なんで、コレが受けるのか?
それを突き詰めれば、相手の“当たり前”が発見され、自分とコピー対象の方の違いが明らかになり、自分と相手を分けていくコトが出来る為、何を諦め、何が足りなくて、何が自分にはあるのか、など、自己の確立になるんではないでしょうか。
さてコピーできてるかどうかは、ご自身で判断されるより、どなたか第三者に聞いて頂くコトをオススメします。
発表するなり、毎レッスンで試行錯誤するなり、何でも構わないのですが、とにかく一人で完結されない方が宜しいかと。
人前で表現しなければ成り立たないというコトと、どなたかに聞いて頂くというのは、その聞いて下さる相手の方の時間を取る責任や、人前に曝すプレッシャーを自分に課すコトでもあります。
つまり無責任に自分の表現をしない宣言と言いましょうか、表現や言葉一つ一つを大切に扱うと言いましょうか。
とにかくソコに、何かしら自立に結びつく一つの要因がある気がしてならないのです。
なので、別にコピーに限らず、コピーしようがしまいが、表現されるなら、覚悟を以て取り組んで頂きたいと思います。
以上で、僕のコピー論は終わりです。
最後に、僕も勉強中なので、完璧ではありません。
穴だらけの、あくまで現段階での自論に過ぎません。
だからドンドン論破して、覆して下さい。
僕こそ参考にしたいです。
活性化するなら、何でもアリ、大賛成です。
その為に、僕なりの愛は惜しみなく捧げます。
皆様に、せめてもの恩返しになりますよう。
今回も大変、長らくのお付き合い、ありがとうございます。
◎ペーパー◎