6/28(月)、長州コンビナートは遂にエコノミーですがボイスサンプルを録りました。
挨拶後直ぐに事前にもらっていた原稿と筆記用具、蓋付きペットボトルを持ちブースに入る。
マイクの位置を調節し、片耳にだけヘッドフォンをあて、軽く声を出し、ヘッドフォンからの自分の声の返しと、山上さんからの指示も聞こえるか確認。
すぐに収録開始。
テスト→本番で、テストの時に山上さんが流してくれた音を聞きながら「あっなるほど。この原稿はこう読むものだったんだ」と、音楽がつくことでわかった最終的な読みの雰囲気を掴む(音を聞く前と後で、読みの雰囲気を変えたつもり。それが本番での表現に現れたかどうかは別(^_^;))
むしろ山上さんがテストの僕の読みを聞いて「音のほうを合わせてくれた」というのが正しい(^_^;)
そして、テストで聞いたBGMの展開を何となく頭に入れつつ、本番。
曲の展開を意識(したつもりだが(-o-;))し、原稿も一番伝わるように読む。
本番は原稿を読んでいて、「あっテストよりちょい早く読んでしまった(曲を待ちすぎたっ)音の展開と合わないっ……よしっ音は無視。雰囲気は意識しつつ読みに集中っ。山上さん編集でお願いしますっ(゜∇゜;)
という時間にするとたぶんコンマ何秒の出来事が頭の中であったり。
その迷いというか動揺が声に表れなかったから、よし。
本番を読んだ後、それを返し、滑舌が甘くなっていたところを録り直し。
一発でオッケーだった原稿もあり、約40分で収録は終わりました。
収録後、編集の為、ブースのいいマイクで録った自分の声をスピーカーから何度も聞く。
新鮮な感覚でした。
マイクがいいと、声がこんなに良く聞こえるんだっマイクってすげえっ自分の読みがBGMとコラボすると(実際にコラボできていたかどうかは別(-o-;))こんな感じになるんだっすげえっ!!と、その『魔法』に一人ニヤニヤしてました。いい声だ。
僕の声はこんなふうに聞こえているんだなぁと手前みそながら自分の声が好きになりました。
ただ、自分が気持ちいいだけでは『仕事』にはなりません。与えてなんぼ。一番肝心なそこはどうなのだろうか。
そうやってふとすると舞い上がってしまいそうになる、編集ってすごいと思った反面、始めから編集頼みとならないようにしないといけない
「自分の仕事・役割」をしっかりやらねば「次」はないっと、気が引き締しまる思いでした。当たり前か。
ナレーターは一人ではない。スタッフさんたちとのコラボ。
もっと良くしたい、もっとおもしろいものを提供したいっ
「いい作品を作りたいんだ」という思いは共通。
(スタッフさんは早く仕事を終わらせて帰りたいというのもあるとも思いますが(^_^;))
と、自分は楽しかったのですが、収録後の山上さん(=現場のスタッフさん)の反応は「いいんじゃないかな」と淡々としたもので、、。
その言葉を聞いた時、僕は気持ちはあるがその自分のプレイが山上さんの想像を超えるものではなく、よいものを提供できなかったのだと自分の表現のいたらなさを感じました。
山上さんとの緊張感のあるクリエイトな作業はとても楽しかったです。
ただ『僕が楽しかった』で終わってしまったように感じます。
こんな緊張感の空間でもっと仕事がしたいもっと作品を一緒にコラボしたいっそれには僕も「与え手」にならなければいなかった。
その気持ち・意識が緩かった。
遊びではない、仕事でやっていくのだから。
しかし、やっと『これが今の僕です』と言えるものが出来ました。
僕が選んだ原稿は自分の声が一番活きるであろうと考えた内容のもの。
「声の良さ」という面ではマイクと編集でごまかせていますが、『与え手』になれているかに関してはどうだろうか。
是非色んな方に聴いて頂きたいです。
山上さんからは「あおい先生に聞いてもらえれば言ってくれるよ」と言われました。
あおい先生、お願いします。