ペーパーです。
今回は、夜明けの会の本質でもある「バーズ教養講座」をご紹介する命を受けまして、書き込ませて頂きます。
毎週ただただ飲み明かしてるワケではないんですよ、という弁明に聞こえるかもしれませんが、宜しければまた一つお付き合い下さい。
せっかくバーズには、プロ・初心者とわず自立するナレーターを目指す人々が通い、しかも贅沢なことにレッスン後、講師の方々・マネージャーの方々とご一緒できる交流の場を設けて頂いてるからには、ナレーションや表現のお話をしたいのが、皆さま大方の本音ではないでしょうか。
でも“ナレーションや表現の”話をしたいとは言うものの、講師と生徒間および生徒同士において、スクール以前の芸暦・趣向・知識量の差から、お互い噛み合わず、質疑応答の機会を活かしきれなかったり、あるいは言動を躊躇ったり、結果何も言えず、お話にならず、ウズウズしながら黙らざるをえなかったり、実りのない世間話を数名の内輪で盛り上がるしかない、なんてコトございませんか。
僕ぁその典型の一人です。
できるだけナレーションに関するお話がしたいんですが、かと言って、提供できる話題も無く…
それでも何かを得んと、居たい!のが正直なところ。
想いを言語化するにも、それ以前に、芸に纏わる体感・教養自体が乏しいんだなぁと気付かされます。
表現者として生きるなら、まず手を出さないであろうモノ・あるいは出したくないモノに、
“わざわざ”触れてみる、
というのは大切なんだと思います。
その触れる対象は、本来なら何でも良いんでしょうが、何でも良いとなると、あまりに膨大です。
そこで、そんなもどかしさ?
ワガママさ?
を少しずつでも解消すべく、“校長の”推薦図書を拝見・拝聴し、それを自らの基礎知識・芸能界一般教養および芸の肥やしとして、ナレーター同士、
少なくとも“バーズにおける共通言語”を増やしていこうではないかというのが、バーズ教養講座です(だと思います)。
ただ惜しむらくは、教養講座が、夜明けの会で行われる確率が高いという点です。
「本当は観たいんですが、そろそろ終電が…」
「明日、(仕事で、バイトが、)早いんで、お先に失礼します…」
という声を、よく耳にします。
それこそ“わざわざ”精神に通ずるのかもしれませんが、無理してはいけませんしねぇ。
教養を強要してもいけませんし、講座クラブみたいな部活動になっても、それはそれで参加者だけの小さな内輪になってしまいますし、あくまで機会は均等でなくちゃいけませんしね。
そして何より、このまま夜明けの会で講座が行われる一番の問題はズバリ、
校長のお身体が保ちません。
だいたい朝までご一緒して頂く事になりますので…
(横で解説して頂く為。校長の目の付けどころを学ばせて頂く為。)
大変、貴重なので有り難いのですが、本当に申し訳なくなります。
そんないくつかの改善点を踏まえながらも、開講して頂いてる意義は十分にございます。
以下、校長のご発言を基に、僕が感じる利点です。
「“正統・正解”など無い。
実は皆がそれぞれ間違いでもある、と知る事。
だから芸とは本来、(売れれば)何でも良いし、何でもアリ。
想いもよらない表現に触れて驚き・衝撃を受ける事を知れ。」
「世間(誰かが仕掛けた流行・価値観)に踊らされる側は生徒。
自分が仕掛けて、世間を踊らせる側になるのがプロ。
仕掛けられるな、仕掛けよ。
その仕掛けを、優れた作品から多く得よ。」
「金を取る側(売り手)に立て。
金を払う側(消費者)はアマチュア。
金を取るとは何か、金を払ってでも観たいとは何か。」
「完璧に作り込んだ表現か、あるいは純粋素朴な事実ありのままを写したものでも、面白い。」
「一生残る衝撃印象的な1シーンとは何か。
何でソレが、ソコが、自分は、観客が、グッとくるのか。」
「強烈な個性(オリジナル)とは、実はコピーの選りすぐり。
コピーが芸能の結論。
優れた表現にも、必ず源流がある。
色んな芸術に触れていく内に、元ネタが見つかっていく。
だから芸の質・幅を得るには、とにかく選り好みせず色んな作品・種類を観たり、聴いたりと、数を知り、作品に触れて体感していくしかない。
それこそが教養であり、その為に教育の場はある。
教育とは、自分と違う価値観、自分一人では気付けなかったコトを学ぶもの。
今までやってきたコトに固執し変化に対応できなかったり、自分の価値観のみを貫き、その確認や承認をレッスンに求めては、学ぶ気が無く、もはや教育ではない。
よって教養も得れない。」
「傑作は、世代(年齢層)を超越し、いつの時代に観ても傑作。」
「誰も知らない(知らなくなった)古いものは、今で現在は斬新に映るし、しかもパクリ放題。
未来の可能性・最新の表現の源流は、過去の傑作にあり。」
さて、先週17日(土)の教養講座の演目は下記です。
白石加代子 百物語シリーズ
『二階』
作/松本清張
演出/鴨下信一
アメリカ映画
『ブレードランナー』
監督/リドリー・スコット
ソ連映画
『僕の村は戦場だった』
監督/アンドレイ・タルコフスキー
イラン映画
『カンダハール』
監督/すみません、分かりません。
あくまでコレは僕個人の感想ですが、様々な作品に触れて刺激を受けると、僕ぁ何よりモチベーションが下がらなくて済みます。
虚しくならなくて済むと言いましょうか。
素晴らしい芸を体感すると、自分にはとても適わない、と挫折したり諦めますが、それで良いんだなぁって。
立ち位置を知る手がかり、かもしれません。
山上さん曰く「諦めるとは、明らかになる、明らかにする」んだそうですが。
色んな表現があるんだなぁという喜びと共に、色んな表現があって良いんだなぁと勇気づけられます。
なので、作品自体を理解する必要は無いなぁと思います。
何だかよく分からないけど、ずっと残ってる。
ソコに、色んなヒントがある気がします。
これからも開講して頂く機会があれば、皆様もぜひ参加されてはいかがでしょうか。
芸論は野暮ですが、感想を言いたくて仕方がない表現を沢山、体感したいですね。
以上です。
今回も最後まで御覧頂き、本当にありがとうございます。
◎ペーパー◎