先日、レッスンに向かう途中の電車の中で、10年ぶりに履いたブーツの靴底が、両足ともほぼ剝がれているという恐ろしい事態に気付いてしましました。
そこからはすり足で、どうにかこうにか、バーズ近くのコンビニまで靴底を落とさずにたどり着き、アロンアルファー2本を使って貼り付けて、必死に何食わぬ顔をしてレッスンに参加していたコアクラス下牧です。10年物は点検が必要です。
前回、思い込みは怖いという投稿をしたのですが、思い込みというのは続くもので・・・。
声の通り道が開通した私の次の課題は、その声を大きく出せるようにすること。
「テレビの向こうにいる人に届くように声を出して!」と言われた私は、いつもより大きい声を張り上げました。
すると、待ってましたと言わんばかりに、墨屋先生が言うのです。
「それって、ただ声を高くしただけだよね?高いと大きいがごっちゃになってる。」
「!?」
そうです、私はせっかく手に入れた声をぶち捨てて、変なところから出た高めの声を張り上げれば、大きな声になっていると思い込んでいたのです。
思い返せば、小学校の運動会の応援も、遠くの友を呼ぶ時も、この出し方をしていました。
音を大きく出すには、息をたくさん使わなくてはいけなかったわけですが、あれだけ呼吸の練習をしていたのに、そんなことは全くの無視・・・。息を使っているつもりで、全然、使っていませんでした。
そりゃあ、紅組も負けるし、友も振り返らないわ・・・。
こうして、音を大きくするとはどういうことかがわかった私の、今年の節分の掛け声は、私史上、いちばんの掛け声になったのでした。
しかし、一難去ってまた一難。思い込みはさらに続くのでした・・・。