「12」〜12人の怒れる男より〜

DJ_ZONOです
CMセミナーで今期ご教導いただいた鈴木省吾さんが、舞台に上がる!
〜これまでしがない電話番所詰の身で行くこと叶わず、3度目でようやくかないましたぁ。
お芝居は法廷後の陪審員会議が舞台。
50時間の不眠を何本目かの「強強打破」でドーピングしての観劇。
大まかに言うと親父を刺した18歳の少年の事件についてこまわりくん見たいな裁判長に
「少年、お前は〜死刑!」って決められて〜
ギターウルフのセイジさんの
「ここまではただの、裁判!」
さぁ「少年の電気椅子姿」【見るか!?】【見ないか!?】どっっちぃぃぃっ!!??というアバンから始まる。
で、仕事も・人種も・育ちや境遇も各々違う12人のパネラーもとい陪審員が揃ってスタート。
「ふてえガキだ、親を刺し殺すなんて人の風上にもおけねぇ」
「とっととガキを電気椅子に送って終わらせましょうや」
みんな会場内の大方の意見の尻馬に乗ってさっさと帰りたい空気が流れる中、
田島令子さんが立ち上げってものいいを申し出ところからドラマが動き始める。
そしてこの後から、省吾さんがなんとも紳士なポジションで演じるお芝居にみとれますね。
「〜に決まってる!だってアイツを見たってやつがいたんだろ!?」
「でも見た人ってホントに見えたのかしら?」
「そりゃおまえ・・・こんな場合は普通こういうもんだろ」
「じゃぁあの現場でも?」
それぞれは違うが自分が振り上げた根拠の浅さ、
視点の狭さから来る薄いくぬるい論の矛盾が露呈してやがてそれが
それぞれの抱える経験や教育で染み付いた「普通は」という安易なものさしに頼った思い込みであることを知って追い詰められる。
(なんにせよあの日、舞台の上には私が12人いたような気がしました。)
人は誰でも生きる環境によって持つ視野は限られる。
だからその間には「疑問が」一杯横たわっている。
だから、「話し合いましょう」お互いのもつ「疑問」について。
人の生死について全く見ず知らずの市民が集って話し合うというのは素晴らしい。
世界には一握りの権力者が恣意的に人の生死を決めてしまう国もある中で
集った市民が心をリセットして1人の人間として事件と向き合う。
制度は素晴らしいがこの権利を委ねられた我々の心持ちが大切なのでは?・・・「公共の意識」ととっていいのか?
後の顛末は舞台を見ていただきたい。
毎度ながら長くなって申し訳ないです。

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