恋わずらいではないのですが、寝込んでいます。
この炎暑にやられて喉がパンパンに腫れ、水も飲めません。
だけど、放っておくと粘膜が乾燥してさらに痛くなる。仕方なく飲めば、その度に大河内伝次郎みたいな顔になってしまう。
しかし、飲まなければ、体調という名のプラットホームに入ってくるのは脱水症状という名の電車。待てよ、飲まなくても点滴というカードがあるじゃないか。悩む。もし自分がデンマークの王子なら「飲むべきか、飲まぬべきか。それが問題だ」と三幕の一場でモノローグするべきでしょうか。
さて、そんなシェイクスピアの台詞並に金言が多いのが、田子先生のレッスンです。過ぎたる8月3日に縁あって参加させて頂いた田子先生の映像オプションもまさに金言銀座でした。今回のテキストは『時短生活ガイドSHOW』のクッキングナレーション。8ページにも渡る台本は、おそらく映像セミナーの数あるテキストのなかでも最長の部類に入るでしょうか。それをシーン別に参加者の5人で振り分け、いつもの映像セミナー同様、映像に合わせてブースで収録し、ちいさな椅子の上で地平線のような肩を揺らせて田子先生がディレクション。これは「モナ・リザ」をなぜかエルミタージュ美術館で観るような贅沢な時間でした。ポイントは、パリパリ感やサクサク感など食材の表現力と、キーワードのチョイスにタイムのコントロール。ここで飛び出した金言のいくつかを箇条書きにしてみましょう。
「立てる言葉のチョイスで、その人のセンスが出る」
「(こぼれさない為に)タイムコードの0.5秒前から話し始める気持ちで行こう」
「(文の)ケツと頭との言い方で個性が出てくる」
「(尺の)ケツさえあっていれば、途中で遊んでもOKが出る可能性がある。そこで自分の個性が見つかるかもしれないから、ぜひ遊べ」
「自分のなかでオーバーかなって思うくらいやっても、実際はそんなオーバーじゃない」
と、ここいらの構成が、以前ペーパー君が書いた「田子プション」の記事とよく似ていますが、これはパクリではなく、コピーなのです。
自分はといえば、せっかく貴重なレッスンに参加できたにも関わらず、技術力の欠如のためタイムのコントロール以前に自分の声のコントロールが出来なかったり、読解力の喪失のため「海鮮皿うどん」とかワケのわからない言葉を立ててしまう体たらく。燎原の火のごとく襲いかかる喉の痛みと、カラ咳のマシンガン(周りの方にはご迷惑をお掛けしました)、それに顔のむくみも相まって大宮デン助のような顔になりながら只々、自らの体調の悪さを呪っていました。
さて、その後「ミンミン」で行われた餃子パーティの席上にて、2杯目の紹興酒ロックを飲む田子先生がポツリと言った、喉の調子が最悪な状態でMAを迎えたときの話。ここにその日最大の金言がありました。
「使える音域が乏しい中でも、何とか操れる領域はあるはずだ。このなかでバシッと決める集中力がプロ意識であり、プロのプライドだ」
自分は体調の悪さを呪っていたのではなく、たぶん祈っていました。うまく声をコントロールできないことの理由を体調不良に求めたかったからです。これは素人のプライドそのものでした。本調子でないにしろ、声の駆動域が狭くなっているにしろ、その範囲でできることは必ずあるはず。できない理由に不可抗力を持ち出すとその時点から成長がなくなる。なぜ出来なかったのかを追求する手を緩め、さらに「出来ないながらもやってみる」ことを放棄してしまう。実は自分に一番足りなかったのは集中力ではなかったのか?
出来ない理由ばかりポケットの中の底の一円玉のようにいくらでも見つかってしまうのです。
いま寝込んでいる自分がいます。残念ながら今週一杯は起き上がれる見込みはありません。寝comってドメインを取りたいくらいです。あとは現世としばしおさらばだ、と布団に潜り込んで夢の錠前をおろす前に、寝込んでもできることを考えてみました。そして、私は布団の中で「ユリイカ!」と叫びました。(ユリイカとはイカの一種でなく、ギリシャ語で「見つけた!」という意味です)
それが、このブログを書き上げることだったのです。
長文失礼致しました。
上原英司