金Nの長州コンビナートです。正確にはお仕事報告とは違うかもしれないのですが、思う事があったので投稿しました。
昨日、会社を経営している友人から留守番電話のメッセージ吹き込んでくれないかと頼まれました。
それは受話器のスイッチ一つで録音したメッセージが再度消されてしまうようなごくごく簡単なものでしたが、その出来事により大事な事を学びました。
僕がプロのナレーターとして仕事をしていく事を目指していると言うと、友人はじゃあ是非会社の留守番メッセージを吹き込んでもらえないかと言ってきてくれました。
友人からしてみれば、単に僕がナレーターを目指しているから、あっじゃあ頼むよ。という気軽な気持ちからだったのかもしれませんが、僕は一ナレーターとして依頼された立派な仕事として受け止めました。
友人にそう言われ、その頼みを受けた時、僕はこれから自分がしていくナレーターの仕事の責任の重さにハタと気付き、ちょっと躊躇し怯んでしまいました。
電話では声しか情報がない。
外部からかかってきた人に「自分の声」が対応する。
それは、自分の声で、その会社の第一印象が決まってしまうかもしれないという事。この会社は信頼できる会社なのか、またかけようかと思える会社と思ってもらえるのか、外部からの会社の「格」の評価の一端を担うという事ではないか。仕事としていくとはそういう事なのだと。
僕は仕事でコールセンターのオペレーターをやっており、声の重要さは認識しているつもりでしたが、単に「仕事だ」というだけで、そこまでの意識はなく、恥ずかしながらバーズに通う中で最近になってようやく「与える」とは?「責任」とは?とそんな事を意識して考えるようになった、というかんじでした。
またこの留守番メッセージの出来事で、自分が仕事(バーズで教わっているナレーションなど)と、プライベート(オペレーターの仕事など)を全くの別のものとして「重要度を区別」していたという事にも気付かされました。
恥ずかしながら友人に録音メッセージの事を言われた時「準備が出来ていない」と思ってしまった事で。
去年ネクストのスタジオ収録レッスンを僕は本番として受けたつもりだったのですが、どこか「レッスン」として受けていたようでした(>_<)
そして、「ああ、仕事とはこうやって(急に)くるものなんだ」と思いました。
プロとして出来ないなんて言えないし、言いたくない。準備が整ってないならその中でやる!!しかない。
『24時間常に自分が「ナレーター」である事を自覚せよ』
『「与える」とは何なのか』その為、日頃から準備と心構えをどうしておくのかという事を改めて強く再認識させてもらいました。
そして僕はプロとして「声」でその要求に応え、その要求を超えて相手に利益を与える。依頼に応えたい。そう強く思いました。
これが仕える事、仕事。与える事。
どんなナレーションの仕事もこの気持ちが根底にある事が大事なのではなかろうかと。画面から剥離してしまう「独りよがりの表現」から離れるヒントではないか、そう感じました。
この本番を通じて、ナレーターを仕事としてやっていく練習への取り組み方と意識もより変わったと感じます。
何が正解かはわかりません。これも数ある答えの中の一つだろうと思います。
でもこれも大事な要素ではなかろうかと。
僕は他にも足りない事がまだまだあります。
依頼された時に「やれます」と胸張って言えるように準備していくぞ!!
という報告でした(^∀^)