「無自覚な卑怯者にはなりたくない」と強く思いましたね。
金曜Nのレッスンのあと、普段は終電前には帰るのですが、昨日は動物的直感とでもいうのでしょうか?残らなければいけないというような確信に近い直感があったので残ってました。
ずっと聞き役でしたが(笑)
そんな時間の中、色んな話を聞いてそれを自分に省みて、思ったのは、ああ僕は無自覚に簡単に「サンプルを聞かせて」と言っていたんだなだと気付かされました。
と同時になんて卑怯者だったんだと。
サンプルを聞かせてもらって「あぁ~いいね、上手いなぁ」なんて。
なんて「無責任」な言葉を吐いていたのかと(でも、いいなと思った事も確かですが)。
かといって、ここはこうしたらいいなんて事も言えないですし。たとえ思っても言う資格も本来ない。なのにそんな事を平気で言える自分は何者だ?という事ですよ。
売れてもいなし、語れる程の事の結果も成してきていない。自分の吐いた言葉に対して責任感もないし、責任もとれない。
しかも僕の場合はまだサンプルも録ってない。何も「形」に残していないくせに、そんな人間が何を言えるのだと。
自分は安全地帯にいて(経済的に録れなかったという事もありましたが)、ぬるま湯に浸かっておいて「鏡」に写る今の自分(現実)と向き合いたくない、とキズつきたくないと「形に残す」事を怖がっていたのかもしれません。
なのにそれを恐れずに「サンプル」という「形に残る表現」をした人に何を偉そうにモノを言うのだ?と。
銃弾をかい潜り命懸けで帰ってきた人に
ぬるま湯から「凄い凄いよ。よくやったよ、頑張ってるね」なんて。何を偉そうにっ
そんな人間が唯一できるのは無言。「何も言えねぇ」というのが正しいのでは。
でも、聞かせてもらったから何かを言わなければというので、無責任な言葉を無自覚に口にしていたのではないか。
しかも、サンプルを聞いて口では耳あたりのいい事を。
しかし本音は口にはださず、心の中では自分と比べ優劣を決めたがっている自分もいる。
なんて卑怯者だ。
今の自分が相手と対等に本音を語り合いたいならまず「同じ立場」になってからではないか?
自分もサンプルを録って「同じ土俵」にたって、始めてモノを言う資格が与えられるのでは。
ナレーターにとってのサンプルはそんなに簡単なものか?
「何も言えない自分」が悔しかったです。そして、自分の行動がいかに無自覚で卑怯者だったかを思い知った夜になりました。
ぬるま湯に浸かっていたんだと気付きました。
凄い環境にいるんだ、高い意識で話がしたい。
自分で低くしてどーすんだって。