「眠れる獅子たちを起こせるか」への反論ロードマップ

 「アドバンスコースを修了しました者その2」です。(「中の人」ははんこ屋です(笑)) 「アドバンスコースを修了しました者」さんの投稿に、夜中、コメントを入れたんですが、あまりに長すぎ、コメントとしては反映されなかったみたいなので、少し内容を修正して新規投稿の形にします。
 「アドバンスコースを修了しました者」さん(長すぎるので、以下「修了者」さんと呼びますが)の「バーズ生批判」、現状では反論しづらいので、反論手順のロードマップ(?)をまとめてみました。
 反論しづらい、というのは、修了者さんの現状の書き込みには反論するべき客観的素材が少ないので、論理矛盾を指摘するだけの、重箱の隅をつつくような「反論」になっちゃいそう、という意味です。そういうのは、修了者さんにとっても、ブログを読む人にとっても、気分の良いものではありませんよね。そして、修了者さんが気配りの行き届いた礼儀正しい人であること、今回ものすごく頑張って「バーズ生批判」を展開しよう努力したであろうことを知っている私にとっても、そういうのはとてもイヤです。そこで、感情とは切り離して議論を楽しめるような地ならしをしたい、というのが、この投稿の主旨です。
(1)「自立」「依存」の定義
 まずは、議論のポイントとなる「自立」「依存」について、修了者さんの定義が必要です。というのは…
 たとえば、私にとっては長い間、「自立」とは「誰にも頼らず一人でやること」でした。アドバンスの授業を受けるなかで、本当の「自立」とは、必要であれば助けを求められる人になること、と学んで、私の「自立」が、いかに極端な意味での「独立」だったかに、あらためて気付きました。「まったくの一人で」何かできる人間が現代社会にいるはずがないんですから(人類の歴史が始まって以来、いないかもしれませんが)、実現不可能な「独立」ですよね。
 でも、私が自立について、上記のような極端な定義をしていた時に、「バーズの諸君は自立してないじゃないか!」と言ったとしたらどうでしょう? とても議論になりません。単に私がヘンな人、というだけで(笑)
 というわけで、まずは修了者さんの「定義」を明示するのが、議論開始に向けてのファーストステップになるでしょう。
(2)主張の検証
 修了者さんの「自立」「依存」に関する定義を大方の人が受け入れたら、初めて、修了者さんの主張が正しいのか、お互い検証しましょうよ、というフェーズに移行します。そのために、主張の根拠を明示するというステップが必要です。
 修了者さんの投稿を読んだだけの方は、状況が分かりにくいと思いますが、飲み会では修了者さんがしたのは、「バーズ生にはスクールに依存しすぎている人、受け身の人が多い。ブログを読んでいても、これもブー、あれもブー、と感じる投稿が多い」という、ブログにまつわる主張でした。
 で、その際に私が「みんな依存臭が出ないように、細心の注意を払って投稿しているはず。それでもなお、修了者さんはそこに依存を見つけられるという意味なのか」というような反論兼質問をし、修了者さんは「Yes」と答えました。
 今回の修了者さんの投稿は、「バーズでは依存してる人、受け身な人をよく”見かける”」といった感想ではなく、「バーズブログの書き込み内容」に特化されたものです。よって修了者さんが自身の批判の正当性を示すには、「バーズというスクールに依存しすぎている方、受け身の方が多いと」修了者さんが思う根拠を挙げ、それを皆で検証する機会を与える必要があるでしょう。
 その際「コイツの書き込みのこの部分を、こういう理由で自分は依存だと思う」と、明確に指摘することは必須です。突然やるとはなはだ失礼なので(笑)、私の先日の「だぶるくらす奮戦記」をたたき台にしてもらって構いません。
 以下はロードマップからははずれた付記になりますが、正直言って現状では、「こんな事を学びました」という「優等生的文章」の何が、修了者さんに依存や受け身を感じさせたのか、私には良く分かりません。気持ちを察することはできるけど、せいぜい「良い子ぶりっこってキモイ」という感想が出るくらいじゃないですか?
 それから「優等生タイプの方は理解したつもりで本質的な事が何も吸収できないかもしれません」という推論の根拠も欲しいですね。また「優等生的発言をする人」イコール「優等生タイプの方」という前提で話しているのかについても、注釈が欲しいです。
 私も、このブログの書き込みは「優等生的発言」が多いな、と思わないではありません。私自身も意識的(ときにはもしかしたら無意識的)にそういう投稿して来ましたし。ただ、優等生的発言をする人が優等生タイプの方とは限らないと思うし、優等生タイプの人が本質的な事を何も吸収できない人だとは思えません。本質を吸収できる能力があるから「優等」なんじゃないですか、優等生って普通? 
 って、最後の一文は修了者さんが言う「優等生」が何か、という定義が無いのを逆手にとって、(言いたいことはだいたい察しながら)論旨をねじ曲げてるんですけどね(笑) だからファーストステップでキーワードを定義しておくことは、自衛にもなります。
 ただしここで修了者さんと共にあらためて確認しておきたいのは、飲み会の席で言ったように、このブログで「優等生的発言」をしている人は、優等生であるがゆえに、細心の注意を払って自分の書き込みから「依存臭」を取り払っている、という大前提です。皆さん大人ですから。だから「優等生的」になっちゃうのかもしれませんね。そのヘンの無臭ぶりが、むしろ残念かなぁ>バーズブログ って人のことを言えたギリではありませんが。
 修了者さんの現状の書き込みからは、「バーズ生はキレイゴトばかりブログに書いて本心が見えないのがイヤ」という主張しか感じられません。そしてその部分については、私も反省しつつ、共感する部分があります。
(3)発言者の「資格」検証
 トピックが今回のように他者の人間性に切り込むようなものの場合、発言者ご本人の人間性も俎上にのせられることがあります。ですから第3のステップとして、バーズ生に自立していない人、依存している人が多いとする、「修了者さん自身の自立度表明」も必要でしょう。
 今回、修了者さんはあまり手厳しい批判をしていないので気分を害する人は少ないでしょうが、中には「そういうあなたはどんだけ”自立”していて、どんだけ”1を聞いて10を知る”人なんだよ」という「反論」をする人がいるかもしれません。そしてたぶん、このような若干感情的な「反論」に対面することが、表現者としては(あるいは、お金をもらう方の立場へと成長するためには)一番重要なフェーズなのかもしれませんね。
 個人的には、この期に及んで「アドバンスコースを修了しました者」としか書かない修了者さんは、やっぱり大窓王がおっしゃったことの本質をつかんでないじゃないか、という気はしています。書けない事情があることはお察しします。ですが、今回限りの使い捨てでも、それなりのハンドル付けようという気持ちは無かったのかなぁ、と。たとえば「自称○○○○」とか(笑)
 また、この書き込みのところどころに見られる、飲み会での出来事に関する、事実とは異なる記載が「挑発的書き込みをするために敢えてやっていること」では無いのだとしたら、「(大窓王の)言葉の裏に秘められてる事を感じ取れるセンスを身につけましょう」と皆に説く自信の根拠が一体何なのかについても、聞いてみたい気はします。
 と、形式的にでも修了者さんの人間性に対しての問いを発してしまったので、私自身も俎上にのります。
 「自立」どころか「独立」(それも実現不可能な)へと突っ走る傾向のある私は、これまでの人生、あらゆる局面で他の人の助力を求めることを拒否してきました。助力を求めたのは、生命の危機に瀕したただ一度だけです。
 ですがここ数年、もしかしたらこれは、自分が本質的に、ものすごく依頼心の強い人間だから、「依存」に少しでも繋がる恐れのある行為を恐れているんじゃないか、と自分を疑うようになったんですよ。「助力を求める」には、シッカリと立って、相手に対面する自分が居る必要がありますよね。ですが私の場合、助力を求めた途端、「相手に縋り付いちゃいそう」な弱さがあり、それが表に出てくることを本能的に恐れているのかな、と。
 それと、いまだに赤穂浪士に共感して、「忠臣蔵」を見るたびに号泣してる人間ですので(笑)、組織に対する「所属感」がもともと大好き。封建的なのが根っから性に合っているのか、学生時代は喜んで先生のカバン持ちしていたものです。従属的で従順なタイプ、というんでしょうかねぇ。
 というわけで、私は授業後の飲み会も、この2年間で3回か4回くらいしか出席しませんでした。バーズという「場」に居ることそのものが心地よくなってしまったらまずいなぁ、という恐怖があったから。
 実際、最終日の飲み会に参加して、自分の考えは間違ってなかったと思いました。本当に楽しくて、こんな楽しい場に参加し続けていたら、「バーズに行くこと」自体が私にとっての意義になっていたことでしょう。(もちろん「放課後の学び」ができなかったという点では、非常に残念ですけど。)←「優等生的」発言かもしれませんが本心です。
 ですから修了者さんが、自立ではなく「独立」に走ろうとする私の極端さから深層心理を読み取り、「お前は依存の心でいっぱいじゃないか」と批判されるなら、甘んじて受けます。それ、ものすごく事実だと思いますから。
 ただ、こういう自己反省をしながら、私と同じように依存の心と戦っているかもしれない他のスクール生に、何か参考になると良いなと思って書いてきたほとんどの投稿に対して、修了者さんが「ここに依存が垣間見えているじゃないか!」と指摘するのであれば、そのケンカ、喜んで買います(ケンカじゃないけどね(笑))。
 
 最後にちょっとだけ感想を。
 修了者さんは
今回の内容は、私と同じ考えの人には得るものなし
違和感を覚える方は、私にとって得るものなし
 と書いているけど、本当にそうでしょうか? 「得るものなし」は二つとも、「得るものあり」じゃないかと思いますよ。特に二つ目。「違和感与えてナンボ」じゃないのかなぁ。腹をくくって批判を受ける立場を選択する、という意味で。

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