心の池の水ぜんぶ抜かれる

怒涛の2時間は風と共に去りぬ。

メレンゲよりも軽い語り口で、ジョークを交えて語られる華々しい経歴や経験。
時間の流れを忘れるほど楽しい田子千尋先生の授業は、受けた人を間違いなくファンにする。
どうにかして私にも、せめて毛ガニの毛ほどでもいいから、セクシー要素かワイルド要素がほしいと思う。
しかし、残念ながら私にあるのは、見知らぬ人につま先の写真を撮らせてほしいと言われるほどの微妙なセクシーさと(つま先の出た靴を履いていた訳ではない)、好物の春巻を落としても洗って食べるワイルドさ(あれは小3のことだった・・・)くらいで、本物のセクシー&ワイルドには到底及ばないのである。

閑話休題。

しかし何より授業を受けて驚いたのは、言葉を正しく遣う、殊に日本語へのこだわりだ。
「ナレーターは間違いに気付く最後の防波堤」という言葉は印象的だったが、言葉を正しく遣うためには、語彙力だけでなく情報収集能力も磨くことが求められる。
間違った内容の原稿を正しく読む場面では、ブラピとアンジーの複雑な愛の変遷から世界のミクニの料理まで、トレンドあり文化あり常識ありと、オールジャンルの知識と情報を身に付ける必要があるという難しさを感じた。

原稿を信じることがすべてではなく、一緒に映像を作り上げていく気概がなければより良いものは作れないし、防波堤にもなりえない。
日々、情報に触れること、興味を持つこと、そして吸収すること。
地道な努力の積み重ねが、トップを走っていくための秘訣なのだと感じた。

図書館の休館期間が終われば、私はまた、小説と週刊誌と雑誌を読みに走ろうと思う。
明日の私は今日の私より、せめて毛ガニの毛ほどでもいいから、物知りであってほしいと願うばかりである。

本当はカニよりエビが好き 土曜コア 大島