あの日から 弾ける君に なりたくて

こんにちは。秋17期モードの北村です。

余談ですが、私はアニメや小説を楽しんでいるとき、「別れのシーン」に弱くて毎回涙を流しているのですが、最近見た「ダイヤのA」にて、エースの沢村君がマウンドを下ろされたあと、気持ちを切り替えようとしてベンチからがんがん声を出していたシーンに思わず涙が出ました。

それが現実だろうと仮想だろうと、頑張ってる人の姿は涙を誘うものなんですね。

さて、先日は大江戸さんの「緩急とパターン」最終回でした。

今回はミラーリングと提案力、大江戸さんの別パターン指定に即座に挑戦するという「ザ・実践」な形式で行われました。

その前に、アフターバーズで「なんでも分かりましたという人より、分かんないことは分かんないとちゃんと言う人の方が記憶に残る」という話がありまして、「自分は的確に質問できているだろうか」と考え直すきっかけになりました。

ということで、授業での気づきをできる限り言葉に残していきたいと思います。

私はバラエティとドキュメンタリーという二パターンをやったのですが、「バラエティは、頭がいい人が馬鹿をやろうとしている感じ」とのこと。

今になって考えてみると、バラエティを盛り上げるために「ナレーター視点での馬鹿っぽいふるまい」ができるようになりたいというのは、コアに通っていた頃から考えていたことでした。だって、今までストレートナレーションか、原稿で笑わせるラジオCMか、キャラクター交じりのウェブ系か、みたいな感じだったんですよ。それがテレビの世界に飛び込んだ瞬間に「え? 裏声なんてありなの?」、「もはやナレーションじゃなくて『ナレーターの○○さんが出演者に話しかけてる』じゃん」みたいなある種のカルチャーショックを受けました。 また、昨年の猪鹿蝶イベントを通じて「マネージャーに評価される先輩のボイスサンプル」を聞いたときに、ちょっとくすっと笑うというか、「やっぱり面白い」と感じることが多かったんですよね。であれば、「面白い原稿を成立させる馬鹿っぽいナレーションを俺も体得するんだ。それが近道だ」と思い、ここまで進んできました。

それから、「新人のうちはゆったりしたやつをやらないほうがいい」ということだったので、「これはもう、ネタに走るしかないっしょ」と思っていたのもあります。

さらにさかのぼると、自分がボイスドラマの脚本を担当していた頃、「ギャグがない」と言われたことがあります。たしかに、あとあと読み返してみると「面白くないな」と自分でも思ったので、「ギャグシーンが書けるようになる」と目標を定めました。その頃から、「頑固で真面目な自分」と、「馬鹿になりたい自分」の戦いが始まっていたのかもしれません。

ただ、思ったんですよ。バーズの初回レッスンで話題の「みんな自分とは違うタイプのナレーターに憧れる」という話。ひょっとしたら、これもそうじゃないのかと。かっちりしたものができる人は馬鹿っぽい表現に憧れる。馬鹿っぽい表現ができる人はかっちり安定している人に憧れる。ある意味「それだけ」なのかもしれません。

そして大事なのは、「今の自分もあこがれも捨てないこと」だと思うんですよね。最終的に、ベースの自分が憧れるものが「毒」なのではないかと。

だって、馬鹿っぽく読んでたのにいきなり真面目に読み始めたら「お?」ってなるし、真面目に読んでたのにちょっとはじけると、くすっとくるじゃないですか。

と、ここまで書いていて、以前畠山マネージャーからいただいた「ブランディングに大事な究極の魔法」を思い出しました。「○○なのに□□が大事」。

大江戸さん、素晴らしい気付きをありがとうございました。

(「この記事の9割が余談と回想やんけ」というのは、触れない方向で。

ということで、長くなったのでこの辺で。秋17期モードのラストスパート。頑張るぞ!!

本日も笑顔120%な1日を。