余裕と余白のその先に、僕の未来がある

皆さんこんにちは。

今期の目標は「脱優等生」、秋18期モードの北村です。

11月30日は大野さんの「放送作家とコラボ」でした。こちらは、番組の映像やテロップの情報などを確認して自分でアバンの原稿を書き、当日はブースでそれを読むという形式で行われました。

前回のモード受講時には、はっきりいって消化不良のまま終わってしまったこの授業。今回は題材が変わったということで、気持ちを改めて原稿書きに挑みました。

今回はお城がテーマの題材でしたので、まずは映像やテロップに登場する固有名詞を調べ、「これ、入れたら面白そうだな」というものを追加していきます。ただ、秒数が決まっているので、軽く声を出しながら情報を取捨選択していきました。

そして、せっかくなので自分が盛り上げられそうなテイストの原稿に仕上げて完成!!

いざ、授業当日にブースで読んでみたのですが、特にはみ出ることもなく、読み切ることができました。

むしろ文字数が少ないかな? 結構BGMだけのときあったけど大丈夫かな? と思っていたのですが、テレビナレーションの場合は尺を全部使い切るほうが珍しいとのこと。ナレーションが入っていなくても、onへの切り替えだったり、効果音だったり、映像だったり、何かしらが動いているので、逆にナレーションがないことが視聴者にとって番組を見やすい余白になるんだそうです。

そして、私の原稿でもう一つ。余白があるからこそ、ナレーションで遊ぶことができていたとのお褒めの言葉をいただきました。

余白といえば、相原先生のご機嫌ナレーションの授業にて、「ご機嫌とは、余白があって余裕があることだ」みたいな話ありましたよね。だいぶ端折っていますが。

原稿の余白が尺に対する文字数なんだとしたら、ナレーションの余白ってどうあらわされるのでしょう? そんなことをふと考える私なのでした。

そして、もう一つ。私が数年前にワークショップにて20秒のラジオCMを題材にレッスンを受けていたときのこと。自分は20秒におさめるのに精いっぱいで、すべての表現が同じになってしまいました。

ただ、私より経験が豊富な先輩方は、「こんなに抑揚付けたら20秒こえるんじゃない?」と思うようなナレーションでも20秒に収めていたのです。そのときに初めて「格の違いを見せつけられた」という気分になったのですが、やっぱりこれも「余裕の差」なんだよなあ・・・なんて。

ということで、脱優等生できるように、余裕のある男に俺はなる!!

本日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。