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都さゆり27歳。2歳の長女を抱え声優養成所に飛び込む。
無謀にも思える直感から「夜泣き越え」が始まった。

ナレーター都さゆり
『人生を楽しく旅する』


朝は4時に起きて、1時間後にはテレビ局でスタンバイ。
急遽の録り直しなどがザラな「朝の情報番組」の現場。
 
そんな朝の番組のナレーターを務めて2年目に入る。OA直前収録の緊張感と早朝入りで精神的にも肉体的にも過酷な現場。それに加え、2010年秋からNHKの番組レギュラーが決まった。
 
50歳を越え「初めてバラエティーのレギュラーに入る」快挙だった。「やり残したことをやりたい」と選択を繰り返してたどりついた、嬉しい結果だ。

インタビューで語られたどこにも「不満や愚痴」は出て来ない。いつも爽やかな笑顔を絶やさない。いつ会っても新人のようなみずみずしさで、軽やかに、笑顔で人生を旅してきた。
 
「だってほら…やっぱり人生は楽しまなきゃ!」
 
人生を楽しく旅する。ナレーター都さゆりの「inside OUT」
 


わたしには教員は向いてないのだわ


 
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ちょっぴり厳しい父のすすめで公務員を目指す。そして、教員になった…のだが。
 
数年後。
 
「教員の先輩たちのように”立派に”できない…私には教員は向いてないのだわ、あーん(涙)」と考えていた。
 
その時にはすでに結婚して子供もいた。すんなり家庭に入っても「私に何が残るのかしら?」という思いがあった。その時、夫が「声の仕事とか、向いてるんじゃない?」と言ってくれたのだった。
 
「軽い気持ちで言ったんだとは思うけど、ものすごく私が食いついちゃったのね。子供のころ歌手になりたいとの淡い思いもあったし…”声の仕事なら楽しそう!”と(笑)今でも、あの日のことだけは、夫に感謝してます(笑)」
 
都さゆり27歳。2歳になる長女を抱えながら声業界に飛び込む。それは無謀にも思える直観だった。そして彼女の「夜泣き越え」がはじまった!
 

「夜泣き越え」


 
即断即決、教員を退職し両親に相当怒られた。レッスン日には長男を預かってもらったが、これももちろん相当怒られた。
 
怒られっぱなしで養成所に通う日々。
「家族をはじめ支えてくださった皆さんのおかげでした。でもねッ、ほんっとに毎日が楽しくて!子育てで疲れてきたら養成所で発散。レッスンで考えすぎたら、家事を楽しむって感じで発散できてたのねー(笑)」
 
講義は最前線にたっている大御所たちが講師だった。
「…え?…そこで何を教わったか?うーん内容はさっぱり覚えてないけど(笑)でも本物の品格を教わったのかもしれない」
 
所属審査に合格後、仕事はすぐにきた。
当時はビデオデッキが普及した時代で「VP(ビデオパッケージ=テレビラジオなど電波にのらない企業CMなど)」が全盛をむかえ、小さな仕事はたくさんあったという。
 
「でも実は私”外画のアテレコ”希望だったのね。小さい役はやってたんだけど、大きな役を欲しいなーと思ってた」
 
恩師や先輩そして両親に頭をさげて外画の見学にいきまくった。
朝から現場見学に連れて行ってもらい、仕事終わりの飲み会にも毎晩参加して、スタッフに気に入ってもらった。それはアテレコ界の伝統的な営業法だった。そんな苦労が実を結び、ようやくにして大きめの役がまわってきたころ。
 
”二人目”ができた。(がびーん)
 


5Hのスケジュール



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仕事は順調。子育ては本格化する一方。いよいよ四面楚歌。

朝は「おべんとう作りと、お見送りと家事」。夕方は「お迎えと、夕飯作りと、お風呂と寝かしつけ」
なのでこの間「朝は11時から夜は16時まで」しかスケジュールは取れなかった。
 
しかも土日はNG。それまでの声業界では、順調に仕事ができているとはいえ「無名の新人」がそんなスケジュールを出せる訳はなかった。
 
「ワタシ、ほんっとにわがままなスケジュールを出してしまっていて(笑)ご迷惑をかけたと思ってます」
 
だが、現実は小説より奇なり。
「スケジュールがとれない」という希少感なのか、逆に多くのマネージャーが都を使いたがった。どんな仕事でも新人のようにみずみずしく現場を楽しむ。そんな都の人柄もあったのかもしれない。平日5時間のわずかなすき間にスケジュールは埋まっていった。
 
しかし多忙な毎日で一度だけ、過労で体調を崩し仕事を飛ばしたことがあった。
 
「それからは適切に無理せずというスタンスを徹底するようになりました。それで長く続けられたんでしょうかね」
「家事と仕事を行き来できたことは、両方で煮詰まることなく、私にとってバランスがよかったんです」
 
都は育児と共存するスケジュールを乗り越えながら、アニメ、アテレコ、ナレーター、CMなどの声の仕事のほとんどのジャンルをこなしてきた。
さらに声だけでなく大河ドラマやCMの顔出しまで経験している。
 
この幅広いジャンルで仕事を経験できたことは、今でも大きな財産になっているという。
 

50歳をこえて「バラエティ」が決まった


 
それから十数年。事務所内での「番組ナレーターの候補メンバー」に上がらなくなっていた事実もあった。
 
そこで子供達が成人を迎えたころ「そろそろ自分の人生を歩んでみたい」と、自分の足で立ってテレビ番組を目指すため、事務所を円満に退社。
 
そして営業を学ぶため、スクールバーズのアドバンスコースに通った。
20年のキャリアを捨ててゼロにもどって学ぶことを、都は心から楽しんだ。
そのことは旧知のスタッフたちも応援してくれた。
「バーズを選んだのも直感なんです。いまの私、そして未来の私にそれが必要だって感じたから」
 
勢いと飛び込みはさらにラッキーを運ぶ。
キャスティングプロジェクト「猪鹿蝶」からのキャスティングで、朝の情報番組のレギュラーをつかんだ。
 
そして2010年秋。
50歳をこえての初めて「NHKバラエティのレギュラー」という快挙は、多くのナレーターに勇気を与えた。
「今回の番組ではNHKの皆さんの熱意もあって、どうしたらチャンネルをこの番組に合わせてもらえるかを意識しています。視聴率を意識したナレーションも初めてですね」
 


教員を辞め再び教壇に立つ


 
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「絶対にむりむり!教えるなんてとんでもないです、教員は向いてないんです」
と都は言った。スクールバーズ講師の話を、学長義村からされた時のことだ。
 
だが義村は言った。「いつも笑顔で楽しく、かつ柔らかな気品がある。都さんのそんな在り方はこの業界を生き抜いていく大切な要素だということを、生徒に伝えたいんです」説得の末、都は教壇に立った。
 
「みんな本当に真剣でびっくりしちゃうんです(笑)そんな必死の問いかけに答えるために、自分なりに深く考えています。そのことはとっても新鮮な経験だなと思えています」
 
「アハハ」
彼女の周りはいつもそんな笑い声が絶えない。
出しゃばるでもなく引っ込むでもなく、柔らかく気品あるたたずまい。
爽やかな風が吹いているかのようだ。
 
ものごとを新人のように初心で捉える感受性。
さまざまなジャンルの仕事の要所をつかむ的確な直感力。
彼女はそれらを人生の岐路の選択でも活かしてきた。
 
きっと誰もがもう一度仕事をしたいと思わせる人柄が、都さゆりのいまを創っている。
 
 
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この文章は2010年6月10日配信のナレーターメルマガを転載したものです。

 
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