第25話 青い彗星の一夜

この物語はナレーターを目指す迷走の物語である。おおむね事実。


安土はある決意を秘めて所属事務所「どん底グルーヴ」にやってきた。

尼崎(あまがさき)社長「おー安土くんか!アニメの収録は終盤だけど順調かな。ちょうどいいところに来た!」

安土「あのー今日はお話があって。。。」

尼崎「まあまあ、その前に。いま企画しているとこだけど、知り合いのスペインバルで“朗読会”やるよ。どん底グルーヴこれからガンガンいくからね!どう、ワクワクするでしょ!?ウッシッシッシ、そこでね、より本格的に安土君もレッスンに通ってもらうことになるけどけど、いいよね?月謝は2万円だよ」

安土「ですから、以前にも言ったように、レッスンには通いません。それに朗読会って前回のCDドラマみたいに、またノーギャラじゃないんですか?それってどんな意味があるんですか?」

尼崎「もちろん勉強して上手くなって売れていくためだよ。チケットノルマを超えたらちゃんとバックするよ。たくさん売れば儲かるって!」

安土「今まで誰をどこに売ってたんですか?誰も仕事やってませんやん。一人もオーディションにも行ってないし。仕事してるのボクだけですやん」

尼崎「君はなんて卑屈な考えなんだ!これから輝かしい未来があるのに、それから逃げようとしている!君は幸せになるのが怖いだけだ!それに、それに、舞台のお手伝いとか、忙しくしてる子もいるし」

安土「それ声優関係無いですやん。もう事務所辞めさせてもらいます!」

尼崎「んじゃ君が今やってるアニメのギャラはどうするんだ?いない奴のためにわざわざ振りこみしろって言うのか!」

安土「なら今後一切振り込まなくて結構です。60パーセント抜かれて大した額でも無いし、いりませんわ!」

尼崎「そんなこと言わないで、これから皆んなで売れていこうよー」

安土「声優も辞めます。覚悟して言ってることです。お世話になりました!!」

ラムチョップの黒山椒(くろざんしょ)社長は確かに威圧的で怖かった。ただ“売る”ことに対しては明確にビジョンを持ち、真摯だったから、新人にことさら厳しかったのだろう。

尼崎社長の気持ちは芯のところでは悪意ではないのだろう。でもあちこちの歯車がまるで食い違っていた。ここにいる人たち全員が、今もこれからも、まったくずれた方向に動いていただけだ。

その日、青い彗星が一瞬のきらめきを放って、声優という銀河を離れた。妖しくも魅惑の星雲だった。そしてもう、戻ってくることはない。

【【安土寿雄よ、さらば】】

逗子丸は安土からの衝撃の一報を受けた。ラムチョップ黒山椒社長のお気に入りだった横須賀優男(第21話)も辞めたと聞いた。なんて見切りの早い奴なんだ!クラッシュした心は立ち直せなかった。だってもうここには居場所はないのだから。でも怖い。黒山椒社長も。自分の未来も。

翌週、逗子丸はラムチョップ事務所の扉を開けた。緊張で喉がカラカラ。声が裏返った。

逗子丸「た、退所届け持ってきました。こ、これまでお世話になりました!」

それだけ言うのが精一杯だった。

黒山椒「あ、そ。お疲れさん」と封筒をチラッと見ただけで、気にもしていない様子だった。たったそれだけだった。今までの声優人生が。

事務所から駅までの道。養成所時代からの思い出が蘇る。もうここに来ることはないんだと、ちょっとした感傷が襲ってきた。みんなの顔が浮かんでは消えた。ニーハイレッドは元気かなー。

ぼんやりと自分のいく末を考える。安土のように諦めるのか。養成所ジプシーになるのか。考えが同じところをグルグル回るだけ。

安土は自分で道を切り開いた。俺ももうワンチャンス掴めるのか?いや掴む!枯れた心に、小さな炎が灯った。ネットを巡りに巡って見つけた。これだ!もう一度これに賭けてみよう。

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