第17話「新天地、どん底グルーヴ」

この物語はナレーターを目指す迷走の物語である。おおむね事実。


<唐突の所属>


安土は場末のBarでバーテンとしてバイト漬けの日々を送っていた。
ラムチョップを去って半年。自分がまだ声優であることにすがっていたかった。酔っ払いに囲まれる日常。酒の上でのお客は、みな立派な肩書きを語っていた。元一流企業の役員、広告代理店のエリート、そして芸能関係者。
そんなある夜。声優志望者であることが話題に上った。
男「辞めちゃったの!俺の知り合いが社長やってる声優事務所、紹介してあげよっか。一杯おごってくれたら、話つけとくからさー。ヒック」
この男、色々顔が広く、声優業界にも知り合いがたくさんいるという。
安土「え、いいんですか!そんな、一杯と言わず全部おごりまんがな!」
幸運は不意に訪れる。
『シンデレラストーリーってほんまにあるんやな』と一人、納得した。
いく日かあと、声優事務所【どん底グルーヴ】の面談に向かった。
気持ちは軽く、足取りはスキップになっていた。
かなり年季の入ったマンションのインターホンを鳴らすと、50がらみの少しくたびれた男がのそっと出てきた。
尼崎(あまがさき)社長「おー!安土君か、話は聞いているよ!「ラムチョップ」にいたんだって?あそこ仕事たくさんあるでしょ?即戦力じゃないかウッシッシ」
安土「いやぁ、僕はそんなに仕事がある方では…」
尼崎「まぁ、人と事務所、それぞれ相性があるからね。誰が悪いってこともないよ」(この人なんて話がわかる人なんだ!)
尼崎「ところで八王子藤子って知っている?」
安土「(往年の有名声優だ!)もちろん知ってます!」
尼崎「本当!藤子ちゃんのマネージャーやってたんだよね僕。売れない頃から二人三脚で大変だったな」(あの有名声優を売った人なんだ!きっとすごいやり手のマネージャーに違いない!)
尼崎「色々あって、今は人が減っちゃったけど、ここからまたスターを出していきたいんだよね。本当にタイミングが良い。すぐにうちのトップスターになれるよ!これから一緒に頑張ろう!ウッシッシ」
安土「はい!よろしゅう頼んます!」
こんなにすんなり所属できるなんて!「ラムチョップ」時代の苦労がバカバカしく感じられた。『何やめっちゃええ人やん!』思わず笑みがこぼれる。
尼崎「ただラムチョップとうちは当然違う!わかるよね?で、まずは一度きちんと【どん底】色になって欲しいから、レッスンを受けてもらうことになるけど。良いよね?」
安土「え?レッスン必要なんですか?」
尼崎「安土君クラスならほんの最初だけだから、そうそう月謝2万円払ってもらうけどそこは問題ないよね?」
安土「声優のレッスンに良い思い出がなくて。一度見学させてもらっても良いですか?」
尼崎「よっぽど前の事務所で嫌なことがあったんだね、わかった!見学においで」


<どん底の色>


教室には、かなりの地味目の10人ほどのレッスン生が奇声を発していた。講師はモブ役者で有名な人だった。
生徒男「右手と左手のー大きさがあぁ!ちがーーーうぅ!」
講師A「もっと!!っちゅいガァァぁあぁーーーうううぅ!!やってみて!」
一人ずつ前に出て、自己紹介と一発芸を絶叫していた。
講師A「みんな上手になってきた!最初の挨拶で人の印象は変わるからね!」
この奇行は1時間半続けられた。めまいで頭がくらっとした。
休憩時、生徒たちが近寄ってきた。
生徒男「あのラム・チョップにいたんだって?凄いなぁ!」
生徒女「ラム・チョップ出身だなんて超エリートじゃん!」
ここまで羨望の眼差しを向けられた事が無かった。ぽやーん。たちまちいい気分。皆んながいい人。
次は韓国ドラマの吹替の仕事をしている音響監督によるアフレコ実習だ。
監督B「ちがう、もっと体を使って声を出さないと、恥ずかしがってないでほら、ここの胸もっとはってムニムニ!!」
生徒女「あ、あの…そ、そこは…」
監督B「何だ?もう少し上手くなったら僕の現場呼ぶから頑張ろうね…ムニムニ」
生徒女「は、はい…」
生徒男「先生!僕にも何かダメ出しないでしょうか?」
監督B「あっー、いいんじゃないかなー」
生徒男「ありがとうございます!!」
安土 (アカン、きっとコイツ、褒められたと思いこんどる!)
監督B「別子ちゃんも、姿勢が良くないなぁ、それじゃ声が出ないよ!ほらもっとお尻に力を入れて…ムニムニ」
尼崎社長はご満悦の表情だ。レッスン終わり。社長にご飯を誘われた。
尼崎「いいよ、なんでも好きなもの食べて。今日は僕がおごるからウッシッシ」連れて行ってもらったのは、近くの吉野家だった。
尼崎「うちのレッスン、凄い勉強になるでしょ?やっぱり受けたくなっちゃたよね月謝2万円で受けれるんだから」
これからこの事務所でお世話になるんだ。けれど…いやいやいや。
安土「基礎も大事なんですけど、やっぱレッスンを受けられる環境に甘えないで、現場で鍛えて行きたいなーって思ってますねん」
牛丼を頬張る尼崎社長の顔が一瞬引きつったように見えた。
尼崎「わかった、そこまで言うなら。まだ演技レッスンとかもあるから。受けたくなったらいつでも言って」

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