第21話「恋のエチュード」

この物語はナレーターを目指す迷走の物語である。おおむね事実。


<ボイスサンプルつくりましょ>


ふと風の噂に同期の安土の話を耳にした。
新事務所で”番レギ”をゲットしたという。

逗子丸「俺もここが踏ん張りどころ。自作ボイスサンプルで事務所にアピールしてみよう!」

このままでは、実力がつくまでなんて呑気に構えていたら、そのまま見限られてしまう。やるしかない。
ボイスサンプルなんて養成所の審査過程で作ったっきりだった。
ホームページにある先輩たちのボイスサンプルなんて何年も変わってない。
事務所に言われて作るだけじゃなく自らの積極性をアピールだ。
スタジオを借りての収録だとお財布も許さなかったが、どんなものを作ったら良いのかもわからないので、ひとまず自分でやってみることに。

逗子丸(ナレーションなんかも入れておいたら、いいアピールポイントになるかも。みんな入れてないし。ウッシッシ)

1時間800円の音楽用の貸しスタジオで録音。BGMをつける!
おぉ、なかなかそれっぽく仕上がった。
CDに焼いて、レーベル印刷とジャケットを作って完成。

逗子丸「よし!これを社長に聴いてもらおう!」

そんなタイミングで、本当に久々に仕事が入った。
またしてもエロゲのモブだった。すかさず同期のニーハイピンクから電話が。

ピンク「ズッシーまた現場一緒になったね。今度は一緒に読み合わせしない。明日台本取りに行くからその後で」

しばらく足も遠のいていた事務所だ。
ドラマCDの台本を取りに行くだけではない。
社長にボイスサンプルを聞いてもらうのだ。

逗子丸「逗子丸です!台本を頂きに参りました!えーっと、あれ?」

逗子丸の台本が無い。
衝立ての後ろから丁度出て来た黒山椒(くろざんしょ)社長に声を掛けられた。

黒山椒(くろざんしょ)「逗子丸か、台本?あー、、、あーあーそうか。バレた」
逗子丸「え?」
黒山椒「バレたんだよ、お前の役」
逗子丸「え、あの」
黒山椒「わかれよ。無くなったの、お前の役。モブ3人もいらないかなって」
逗子丸「そんなぁ、、、」

ショックは大きかった。折れそうになる心。
いやしかし今日はもう一つのテーマがある。ボイスサンプルだ。

逗子丸「社長!逗子丸弘、ボイスサンプルを持参して参りました!聞いてください!」
すっとCDを押し頂く。黒山椒が黙ってサンプルを受け取り聴き始めた。
黒山椒「セリフとナレーションか。。。ナレーションは案外悪くないかな。それに編集、ジャケットも凝って…ご苦労サン」
逗子丸「は、はいいいっ!…社長っ。頑張りました!」
(うるうる。涙腺が緩みかける。まさか黒山椒に褒められる日が来るとは!ついに報われる瞬間!)
黒山椒「こういうのいらないから。それにナレーションはウチないし」
逗子丸「え?」
黒山椒「録れっていうまで、サンプルとか作らなくてから」

世界は闇に閉ざされ心に雨は降り続く。
トボトボと事務所の扉を背にしようとしたその時。新人の預かりで黒山椒社長のお気に入り、横須賀優男(よこすかやさお)が颯爽とやって来た。

横須賀「お疲れさまーす。台本いただいて、いっきまーす」
逗子丸(なにー!?長音を挟んだ挨拶、、、あり得ない!)
黒山椒「そういえば、横須賀。今日の台本のセリフ、ちょっと増えるからな」
横須賀「ほんとーすか?」
逗子丸(長音気になる!・・・ん?)
黒山椒「急きょモブの数を減らすことになって。その分のセリフ、お前に付けてるから」
逗子丸(それって、オレのセリフ、、、泣く)
横須賀「ありがとーございまーす!」
逗子丸((長音やめろーーー!)ハァ、ハァ)心の叫びで喉が乾いた気がする。
歓喜の涙が一転、屈辱の涙へ。涙が流れないようにそっと事務所の扉を開けた。と、そこにはニーハイピンクが。

ピンク「ちょっと聞いちゃった。ヒドイよね。役のこともサンプルのことも」
逗子丸「ということで、台詞合わせはまたの機会に」
そのままスッと消え入るように立ち去りたかった。

ピンク「でもやろうよ。私も時間作ってたし。こんな時こそだよ、ズッシー」
優しさにうるっときたが、涙がこぼれないように上を向いた。

養成所時代からよく通った夜の公園。そこで二人だけの読み合わせは始まった。一冊の台本を肩を寄せ合って読んだ。男性の役は全て逗子丸が、女性の役は全てピンクが。しばらくして物語は終わった。

ピンク「いつも前向きに頑張ってるズッシーの事、ずっと見てたんだ」
ピンクはそう言うと唇を合わせてきた。
逗子丸「ほよ!??ほよほよ!??」

彼女の生暖かい感触がいつまでも残った。イタズラなKiss。

今日起こった出来事が頭を駆け巡る。全部がクラクラだ。
唇はほんのりぴーちの味がした。

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