【ナレーション表現】心を動かす
投稿者:芋けんぴ2010/05/20(Thu) 02:29表現について
はじめまして。芋けんぴと申します。中音域の24歳女です。
ナレーションのスクールに通っていて、先生に自分のナレーションに嘘はついてはいけないといわれます。嘘をつかないように、一つ一つ伝えようと気持ちを込めようとしています。もっと何かをあなたのナレーションから感じられたらいいわよね、という風に言われます。
たとえば楽しいナレーションを、楽しいと思うのではなく、過去の経験などを通してナレーションする。というのが難しく想像しながらナレーションしても何も見えてきません。
毎日、私何が楽しいと思えてたっけ、と感情の記憶探るのですがうまく思い出せず、思い出せてもいざ伝えるとなると途端に自分の心を動かすことができません。楽しいナレーション以外もそうです。動かせないから必死になって、楽しい風とか悲しく風とかに気持ちが走ります。
あと、気持ちを込めようとすれば息が多くなり、先生に習ったマイクによく通る声でなくなります。よい発声のまま気持ちをつなげる作業もうまくいきません。プロセスはいろいろあると思います。
自分も何か今日からできるような練習法、こんなことをしたらうまくいったというのを聞かせていただけないでしょうか?
最後にもうひとつだけ、3か月後に所属オーディションが迫っています。目先のことに走ってはいけないのですが、気持ちは焦るばかりです。
先生は中音域の女性のかわいい声の人なんてたくさんいるからね!選ばれる人は独特な感性が必要!といわれ、これも何をしたらいいというのはないと思い、さまざまナレーションを聞いたり、ふだん読まないジャンルの本を読みテレビラジオを聞いたり真似したりしているのですが、まだまだ足りないです。
何か参考程度に、表現のために自分はこんなことをしているよというものがあれば教えてください。
できることから、一日も早くしていきたいです。私にしかできないナレーションができるようになりたいです。長々と失礼いたしました、読んでくださって、本当にありがとうございます。
Re: 表現について
芋けんぴさんへ
頭でっかちにならないで。考えることは必要だけど。
現場では、考えて喋るんじゃなくて、自分の中から、VTRなり原稿なりから自分が感じたものが声になって出てくると思う。
Re^2: 表現について
大山裕子様
御返事ありがとうございます。遅くなって申し訳ありません。
考えてはいけないというアドバイスをいただいてから、また考えてしまいました。私自身の癖なのだと思います。頭でっかちという言葉、まさにその通りです。
先生にイメージ、イメージと言われれば言われるほど考えてしまい、感じてと言われれば感じようと感じようとするみたいです。
しかし苦しいながらも感じるということを掴んでいこうと、前向きに悩んでいこうと、この大山様の御返事で思うことができました。
ずっと苦しかったので。本当にありがとうございました。
Re: 表現について
芋けんぴさまご質問は難問ですね。少しでも参考になればと微力ながら書きますね。
ナレーターの仕事はある意味、大嘘つきといえるかもしれません。
製作者やスポンサーに成り代わって、番組のテーマを主張したり、商品のセールスポイントを専門家のように自信たっぷりに宣伝したり・・・ナレーションにおいて、嘘も表現の一部と言えるのではないでしょうか。
では、なぜ、先生は芋けんぴさんのナレーションについて、嘘をついてはいけないと仰るのでしょう?
それは、嘘をつききれていないからかもしれません。こう言うと、また嘘という言葉にとらわれてしまいますね。あまり、嘘ということを気にせず、自由に表現なさったらどうでしょう?ナレーションを表現と捉えれば、表現は本来自由なものだと思います。
芋けんぴさんはとても素直な方なのでしょう。勉強熱心なあまり、先生の仰ることを気にしすぎてはいませんか?
元々はナレーションが好きで楽しかったはずですよね?でも、ご質問の文面からは楽しさよりも悩ましさの方がうかがえます。色々気にし過ぎると、萎縮してのびのびとプレイできなくなりがちです。ナレーションが楽しいという気持ちを是非思い出してください。
芋けんぴさんはすでに色々努力していらっしゃるのですから、あまりあせらず、そのまま、ご自分の表現を追及してください。
どうやったって、自分は自分でしかないんですから。
良い発声のまま気持ちをつなげる・・・練習として、歌はどうでしょうか?個人的にはカラオケで色々な歌をうたうのはお勧めだと思います。(歌がお好きであればね)
オーディションを控え、少々ナーバスになられているのでしょう。「私を採らなければ、大損害よ」という位の気持ちで臨みましょう!
時には「ずうずうしさ」も必要ですよ。ご健闘をお祈りします。
Re^2: 表現について
都さゆり様
御返事ありがとうございます。遅くなって申し訳ありません。難しい質問に丁寧に答えてくださってありがとうございます。
>「嘘をつききれていないからかもしれません」
このアドバイスがとても印象に残りました。少し違うかもしれませんが、先生にいま思いついたから言ったという感じに聞こえたらとてもいいですねとおっしゃっていたのを思い出しました。
テレビ、映画などを見て感じることはできるんです。むしろ、感情移入しすぎて涙もろいようです。しかし感じたままに声にできないのです。それが目下の悩みです。これは、感情の引き出しを開けれるものを模索してみないといけません。
>「あまり、嘘ということを気にせず、自由に表現なさったらどうでしょう?ナレーションを表現と捉えれば、表現は本来自由なものだと思います」
確かに表現は自由ですね。しかし私自身、スキル(アクセント、無性化、滑舌)などがまだまだ修業中の身なので、自由な表現よりもそちらにい意識がいってしまうのかもしれません。 アクセント、無声化などは特に地方出身者でハンデがあり、地方からスクールに通っているので、注意はしていますが原稿読みのときは気をつけているのですが、日常で生活していると方言になってしまうと気があります。スキルはレベルというものが見えにくく、先の見えない感覚が不安になっているようです。
悩ましさが残る文面となりましたが、どのアドバイスも親身になって書いてくださって、数日前の自分と比べるとだいぶん心が軽くなった気がします。
>「芋けんぴさんはとても素直な方なのでしょう。勉強熱心なあまり、先生の仰ることを気にしすぎてはいませんか?」
>「芋けんぴさんはすでに色々努力していらっしゃるのですから、あまりあせらずそのまま、ご自分の表現を追及してください」
この言葉をいただいて素直なのかなとか、勉強熱心なのかな、努力してるのかな、と自分を少しだけ認めてあげられた気がします。
ナレーションというのはとても孤独な作業ですね。しかしそこには自分しかできないものがあると信じて過信せず努力していきたいと思います。
余談ですが、歌を習い始めました!迷っていたのですが、自分への投資だと思って、アドバイスも頂いたので迷わないことにしました。ありがとうございます。
時には「ずうずうしく」これからもがんばっていきたいと思います。重ねて御礼申し上げます。ありがとうございました。
表現方法の違い
芋けんぴさんはじめまして。松田佑貴です。
おそらく俳優(あるいは、元俳優)の方が講師をしていると思うのですが、お芝居とナレーションには表現方法の違いがあります。例えば歌手でも、演歌とポップス、あるいはジャズなど、歌い方が全く異なります。それと同じことがナレーションにも言えるのです。
私が考えるお芝居とナレーションの表現方法、感情の入れ方の違いをお話しします。
怖い話をする「稲川淳二」さんはご存じでしょうか?稲川さんは、人を怖がらせる名人です。大事なのでもう一度いいます。稲川さんは、人を「怖がらせる」名人です。
分かりますか?自分が怖がるのではなく、重要なポイントは、聞いてる人を怖がらせる、という所にあります。稲川さん自身は、決して怖がっていません。むしろ、怖がらせるのを楽しがっているかのようです。
実は、ナレーターも同じです。ドキュメンタリーでは、見ている人を感動させる。衝撃映像で視聴者を驚かせる。通販番組では、買う気を起こさせる。自分が怖がっても、聞き手にはその怖さは伝わりません。
読み手が怖がっている事は伝わると思いますが、それは読み手の自己満足で終わってしまいます。ナレーターは、視聴者を怖がらせなければならないのです。
「楽しい」「悲しい」も同じです。自分が楽しんだり、悲しんだりするのではなく、聞き手である視聴者を「楽しませる」「悲しませる」事がナレーターの仕事なのです。自分が楽しんだり悲しんだりする必要は全くありません。
特に俳優さんにありがちなのですが、感情を込めようとすればするほど頭で考えてしまい、表現がどんどん1人よがりになっていってしまう事がよくあります。
芋けんぴさんが悩まれているのが、まさにこれだと思いますので、まずは表現方法(感情の込め方)の違いを意識して、テレビを見てみて下さい。
その違いが分かれば、表現方法を大きく変える事ができるのではないかと思います。
Re: 表現方法の違い
松田佑貴様
こんばんわ。御返事ありがとうございます。
習っている先生は二人いて、一人は嘘をついてはいけないし、良い発声つまりいかに息をもらさずに声帯を閉めてのどを疲れさせずに気持ちを置けるかということを教えられました。
確かその方は元は演劇をやっていて、歌もやっていて、という方でした。今も歌を教えることもあるそうです。
もう一人は、現役でナレーション声優の事務所に所属している方です。この方にあなたのナレーションにもっと何か感じられたら言われました。どちらの意見も本質的な部分は一緒だと思ったので、自分なりに解釈し書き込みました。
お芝居とナレーションの表現方法、とてもわかりやすく説明していただいているのですが、この説明からするとナレーションや、俳優声優のアプローチはまったく別物ということでしょうか?
声優も所属する事務所なので、セリフに感情を込める練習もするのですが、セリフは相手に言われた言葉に感じたものをまた相手に伝えるというアプローチだと思っていて、ナレーションもまた感じたものを相手に伝えるのだと思っていて、アプローチは違わないと思っていました。自分がその文章に何かを思う必要はない、むしろ思わなくていいということでしょうか?
ということは最初の先生が言っていた楽しいと思った経験を引っ張り出して自分を楽しくするアプローチが少し違っていますよね。
頭で考えてしまうのが癖のようです。解釈を間違えていましたら、ごめんなさい。
あと最後に、この怖がると怖がらせるの違いが分かってそれを表現するには時間がかかると思うのですが、たくさん読んでいけば見えてくるのでしょうか?稲川淳二さんの例がとてもわかりやすかったのですが、私にそれができるのかと、また悩んでしまいました。
もしお時間があれば、また返信いただければと思います。お忙しい中、わかりやすく答えていただいてありがとうございます。
嘘のないプレイ
「読みから何も感じてもらえない。だから嘘をつかないようにプレイしたいがどうすれば?」ということと解釈して書きます。
まず、私個人的には、人間じたい多面的なものですから、表現にも「100%本当」「100%嘘」ということではないんじゃないかなと思っています。感情が爆発しながら客観的な感覚を同時に覚えていたり、そんな風に人間の感情は入り乱れているので、「どんな気持でいれば本当・嘘」ということでもないんじゃないかなぁ。
そう考えると、現実世界で「一つ一つ伝えようと気持ちを込める=えんえんと100%の本当を表現する」こと自体、日常生活にはほとんどない気もします。あなたの中にも観客の中にもない「一面的な表現」をむりやり再現し続けようとしたら、さぞ苦しかったでしょう^^;
ハナシ飛びますが、映画や舞台や小説やテレビという「物語の作り」は、基本的には非日常を味わう「嘘」の世界だと思います。最終的になんらかの「ぐっとくる嘘(=みせどころ?)」へ落とし込むために、「ツカミ」になるべくリアリティを持たせるのです。
ホラー映画の場合明らかな嘘のゾンビを出すとき、なるべく「なんらかリアリティ」を持たせた方が、物語に引き込まれてしまいます。「ゾンビは嘘だから映画は成り立たない」とはしませんよね。
「プレイの土台になる」物語からして、嘘と本当を入り交えることで成り立っているのですから、その世界観の中に存在するためには、表現も「嘘も本当も入り交じっている」ことで、さらに馴染みやすくなるのかもしれませんね。
嘘か本当かに縛られず、もっとシンプルに「グっとくるのは何か」に集中してみては?
追。関係ないかもしれませんが、のびのびプレイしている時のほうが「なんかの吸引力」をもってることが多いように思います^^
Re: 嘘のないプレイ
謎の配達人様
御返事ありがとうございます。私がその先生の前で読んだナレーションはラジオのDJのような読み方で読んでいる女性のマネをして自分がそう読んだものです。
雰囲気は伝わってくるんだけど、内容は伝わってこない、だからあなたのナレーションは嘘だ、という言葉を使ったのだと思います。この文章は何が言いたいのか一つ一つゆっくり噛み砕いて分解していく必要があるとも言われました。
うまく伝えられないのですが、その読んでる人が何を思い何を感じながらしゃべっているか、そこをマネしないといけない。マネっていうのはとても大事だけど、その人の気持ちまでコピーするんだよ、ともいわれました。
>「嘘か本当かに縛られず、もっとシンプルに「グっとくるのは何か」に集中してみては?」
というアドバイスをいただいたんですけど、ぐっとくる何かは確かに映画を見ていたりしたときにはあるのですが、数日経つと忘れたり、その感じたものをうまく持ってこられないという悩みが尽きません。
私のアプローチは本、雑誌を読んだあとにナレーションしたり、必死に映像等を頭に思い浮かべながらナレーションしたりするのですが、そういったやり方が違うのでしょうか?表現しきれていないと毎日思い悩むばかり追記していただいたのびのびプレイするということもよくわからなくなっています。
謎の配達人様は表現ではなくプレイという言葉を使ってらっしゃいますが、これは遊び心をもってという意味ですか?プレイって英語では遊ぶという意味ですよね?少し気になったので聞いてみました。
もしアドバイスいただければと思います。ここまで読んでいただいて本当にありがとうございます。
Re: 心を動かす
芋けんぴさん、ナレーションの虎へようこそ。気になる言葉から、虎らしくお答えしてみようと思います。
「自分の心を動かすことができません」
ここが最も引っかかった部分です。「心を動かすこと」は表現の土台です。これがないと血の通った表現にはなりません。通る声やスキルは、後回しにしてでも「心を動かすこと」にまず専念しましょう。それぞれの練習方法は、実行されているもので間違いということはないです。相性はあるでしょうが。
しかし練習方法以前のことがあります。書かれた文章を何度か読み返してみると、実は「自分の心を動かすことができない」のではなく、「拒否している」状態だろうと読めます。学校の先生や掲示板のアドバイスも、いっけん受け入れているようにも読めなくもないのですが…
しかしその実、ほとんどが「悩む」「考える」という保留した返事になっています。これは柔らかく拒否を意味しているような気がします。拒否している主体は実は「頭」(=悩み考える)ではないでしょうか。
>毎日、私何が楽しいと思えてたっけ、と感情の記憶探るのですがうまく思い出せず、思い出せてもいざ伝えるとなると途端に、自分の心を動かすことができません。
感じたものをうまく表現にもって来られないのは、それを自分の「心」や「お腹」に取り込めていないからです。「頭」「心」「お腹」がつながって初めてうまく表現できていくのだと思います。「心が動くこと」「感情の記憶を引き出すこと」「映画や本のから感じること」「先生達のアドバイス」を心に届かないように頭がブロックしているのではないですか。
「学ぶ」ということは、自分と違う価値観を受け入れることでもあります。受け入れる過程では、悩み考えることは必要なことですし、また誰もがそうです。しかし今の芋けんぴさんに必要なことは、いったん考えることを停止することではないでしょうか。もう充分に悩みましたしね。
そして笑いましょう、泣きましょう、怒りましょう、もっと愛しましょう。それが心を動かし、感情の引き出しをつくる近道です。