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【ナレーション表現】限界を超える「イメージの殻」

投稿者:ママイクコ2010/12/09(Thu) 03:19

限界を超える

こんにちは。いつも読ませていただいております。グサグサとささるものがあり、日々頑張らねばと思っています。

ナレーターが1日18時間ナレーションを練習していたとか、ある声優さんが声を枯らしてハスキーにして男役を臨んだとか、限界点を超えることで見えてくるものがあるという話を耳にします。

ナレーターを目指しているものとして私も限界点を超えてみたいと強く思うことがあります。ナレーションを習っていた時、一日6時間ぐらいナレーションを練習していて自負していました。

しかし講師にナレーションを発表したときにまだまだ甘い、それなりに上手いだけで飛びぬけて上手いわけではなく、個性がないと真向から否定され、何に向かって努力したらいいのかとかあの稽古時間はなんだったのかと泣きたくなりました。

そしてオーディションに落ちました。今思えば自分に酔っていて量より質が大事ということに気づいていなかったのかもしれません。

限界を超えたいのは何度も受けたオーディションで一度も最後までいかない、事務所にさえ所属できない、仕事ももちろんしたことない自分を変えたいのです。

大事なことは人に聞いてはいけないと思いますが、自分の思いつくことは挑戦してもみました。今日も一人で稽古中に笑っても、叫んでも、怒っても、モノマネをしても何も変わらない自分がいて、声が枯れれば本末転倒です。趣向を変えて体力づくりも考えましたがそれはアスリートであって、声の表現者を目指すものとしてはどこか違う気がします。

限界を超えると見えてくるものがるとは言うけど、しかし量より質とも言われたことがあり、限界を超えるにはどうしたらいいのか。逆境に立った時の経験でもなんでもかまいません。

なにかいい練習方法があれば、もしよければ教えてください。

Re: 限界を超える

回答者:松田佑貴

ママイクコさん、はじめまして。松田佑貴です。私もあまりはじけるタイプではないので、すっごく分かります(^_^;)

ただ、こうすれば限界を突破できる!という方法は私は分かりません。限界を超える事は、あくまでも成長の目的ではなく、結果だと思うんです。たとえば、1日18時間練習したのは、その先に何か目的があっての事だと思います。

例えば、オーディションに受かりたい、良いボイスサンプルを作りたい、絶対に失敗できない仕事をもらった・・・等々です。声をハスキーにするのも、男役をやるためです。決して、自分の限界を超えるためにやったのではありません。

私の場合は、劇団でだいぶ限界を乗り越えていったと思います。というか、超えざるをえないんですよね。みんなで作り上げていく舞台を、私1人が足を引っ張る訳にはいかないので。(とはいえ、たぶんそれでも引っ張っていたと思いますが・・・)

後から考えると、その頃の私は「演技がうまいと思われたい」「人からダメな人間だと思われたくない」などしゅうち心や虚栄心が成長の足を引っ張っていました。その後、「人からどう見られても別に良いや」と開き直ってから、一気に成長した気がします。むしろ、そっちの方が「芝居うまくなったね」など、褒められたりもしました(^_^;)

私の場合、この劇団で大きく成長させてもらいました。が、なかなかそんな環境に身を置くことはできないですよね(^_^;)今は劇団も解散し、声優・ナレーターとして今、私が意識している事は、自分を高めてくれる良い作品に触れて、良い人間関係を作ることです。

例えば、私はシルク・ドゥ・ソレイユが好きなのですが、見に行くと、ホントに言葉で説明できないくらいすごいんですよ。綱渡りして、綱の真ん中でバック宙したり、一輪車でジャンプしたりするんです。まったく意味が分からないですよ。そもそもなんで、そんな事しなきゃならないのか?(笑)

で、そんな芸をするためには、それこそ並大抵の努力じゃ出来ないと思うんですね。少なくとも、私よりはいっぱい練習しているな、と(笑) だから、その努力や勢いをインスパイアする訳です。よく先輩が「良い作品に触れなさい」などのアドバイスをくれると思います。良い作品に触れるというのは、その人の情熱であったり、努力の量や質も含めて、そういうものひっくるめて全て自分に取り入れて、高めていける素材でもあるんです。

人間関係でも、自分より努力している人や頑張っている人と一緒にいると、パワーをもらえると思います。ただし、クレクレ星人はよくありません。エネルギーを吸い取る人とは一緒にいたくありませんから。

こんな感じで「自分はまだまだ羞恥心があるな」とか「まだまだ努力が足りないな」などと思える環境を作れば、自分の練習のやり方も、少しずつ変わっていくと思います。その課程で、自然と壁を越えるキッカケは出来るのではないでしょうか。

最後になりますが、ママイクコさんは「量より質の方が大事だ」という事に気づけたのですから、その練習は決して無駄ではなかったと思います。それだけ大量の練習をしなければ、今でも気づけなかったのですから・・・。

ちょっとずつでも良いから、周りの環境を変えて、良い作品(音楽でも絵画でも演劇でも何でも)に触れて、ぜひ自分を高めて、さらにはママイクコさんの限界を突破しまくっちゃってください!

Re^2: 限界を超える

回答者:ママイクコ

松田佑貴様こんにちは。お返事が遅くなりましたこと、深くお詫び申し上げます。文面からお人柄が伝わってきてすごく親近感を感じました。はじけることは本当に苦手です。毎日この掲示板に書かれたことを読んでいました。休養を取りながらですが。

アドバイスを受けて、アマチュアの劇団やプロの劇団、音楽ライブなどいくつか見てきました。やっぱり私は人を楽しませたいんだとか、伝えたいんだという気持ちになりました。そして練習回数がみえる公演を見たときは、同じ表現者として私もあんな風になれるようにと思いました。感じたものを自分なりに表現することはまだまだ出来ませんが、今までとは違う方法でなんだろうなと、ゆっくり考えています。

一日でも早く人よりうまく見えたい菌を分解するために自己暗示を頑張っています。アドバイスありがとうございました。

Re: 限界を超える

回答者:都さゆり投稿日時

限界を感じた時、どうするか?(私の場合)

・休養する
・気分転換する
・そして、場合によっては方向転換する。
(多少の努力はしますが、あまり、辛い努力はしません^^;)

「限界」とか「逆境」はマイナスだとは限りません。「限界」が違う道へのスタート地点になることもあると思います。

かつて、私は大きく方向転換した経験があるので、それを実感します。文面から、ママイクコさんはちょっぴりお疲れなのではないでしょうか?

心と身体を十分にいたわって、休ませてあげましょう。その上で、改めて、自分の状況を客観的に見つめてみてください。

それでも、やはり、限界を感じるなら、今までと何かを変えるときに来ているのかもしれませんね。ちょっと立ち止まったり、方向転換したりすることは決して悪い事ではありませんよ。

ママイクコさんが楽しく努力することができる場所と時間を見出すことができますようにお祈りしています。

限界は、他者の力を借りることで越える

回答者:謎の配達人

ママイクコさん、ナレ虎へようこそ、書き込みありがとうございます^^僕は限界とは自分そのものだと考えています。自分一人では自分の想定を越えられませんから。

なので自分そのものを超えるには「他の人の感性・経験」を借りることが不可欠です。誰かの力を借りるためには、その前に、きちんと自分と向き合っておく必要があります。自分と向き合わずに助力を乞うても、ものごとの一面しかみえず「理解」につながらないからです。

向き合うとは”想い”ではなく現実をうけとめること。現実は常に多面的ですので、良い面も悪い面も一切をきちんと引き受けることです。このことが”自立”への第一歩なのだと思います。自立することは経済的な意味だけではないと思います。自分で現実的に責任をおって判断していくことなのだと思います。

上記を踏まえまして、「他の人からのアドバイスをどう活用するか、していけるのか」という所に「限界を越える」きっかけがあるように思うのですね。

ママイクコさんの書き込みをみれば【個性的でないと真向から否定された】は、講師は実際は「個性的でないことを伝えただけ」じゃないかと思うのです。

ですがママイクコさんは一面的な自分の思いを捉えて「否定された」と強いショックを感じるだけで終わっています。つまり「感情だけを理由にアドバイスを活用できてない」非常にもったいない状況にみえます。

気持は痛いほどわかります。僕も「理想の自分」と「現実の自分」のギャップに毎回ショックを受けます。ましてや他人にそこを突かれると、一瞬穴に入りたいような気持になりますよね^^;

でも講師の目線で言うと、(さまざまな講師論があると思いますが)僕の場合ママイクコさんが個性的であろうがなかろうが「売れていればok」「なんであれ売れていくことを一緒に考えましょう」なのです。教壇で話すことは、ナレーションのプレイに対するもの以外、一切ありません。

個性的であれば個性をプッシュすることを、個性的でなければ「ないなりの方法論」を考えて行きます。なので前提として聴き手の素直な感想「僕には個性は伝わってこなかったなぁ」を伝えなければいけません。伝えて理解してもらわねば、現実的な対処ができないからなんです。

ここで感情だけの話として「一生懸命やってるのに個性がないと”否定された”。あの時間はなんだったのか」とをされると、講師としての足は止まります。僕の養成所時代がそうでした(^_^;)

一方で【あの稽古時間はなんだったのか】という経験を経たからこそ「これだけやってダメでしたので、次の方法探してます。なのでコレをみてみてください」と言う生徒もいます。こう言ってもらえれば講師は「それやるんだったら、こうやってみたら?」と声をかけることができるようになります。

ママイクコさんと講師のすれ違いは「過去~現在」をみている目線と、「現在~未来」をみている目線のすれ違いなのかもしれません。

前向きならいいと言いたいのではありません。後者の生徒は「講師の力を引き出し、未来にむけて活用しようとしている」ということです。

感情をもつなというのでもないんです。凹みまくってok、いっぱい泣いて笑ってください。

「限界を越えるため」に、他者の力を「引き出す側」にまわってみることです。何かが変わってくると思います。

Re: 限界は他者の力を借りることで越える

回答者:ママイクコ

謎の配達人様お返事ありがとうございます。自分の精神的な部分で、相談しておきながら、どうしていいかわからず、書き込めずじまいでした。前の方がアドバイスしてくださった休養を取りながら、自分はいろいろと考えていました。

自分は何がしたいのか、何ができるのか、どうなりたいのか。そして講師は私にどんな言い方をしてくれたのか思い出していました。

講師は常に泣いてもいいし、悩んでもいいから、自分で考えることと言っていました。これがここでいうところの自立なのだなという考えになりました。

ここにくるまでに、やっぱり講師のアドバイスさえも活用できていなかったのだなと反省しました。

しかしここで受けたアドバイスのように、「感情で受けた後、じゃあ未来はどうするのか」という引き出しが一つ増えたので、これを忘れずに頑張りたいと思いました。

講師の立場でものを考える、アドバイスを活用する、あたりまえだけどできなかったことを気付かせてくださってありがとうございました。本当にありがとうございました。

Re^2: 限界を超える

回答者:ママイクコ

都さゆり様お返事遅くなって大変申し訳ありません。掲示板は毎日読みに来ていたのですが、まだまだどうしていいかわからず返事が書き込めずじまいでした。

今はナレーションも長時間やらずに、休養をとり、少しずつやっています。まだ自分のペースが作れていませんので、調整中です。

休養中に自分でも驚いたことがあり、憧れていたはずのナレーションが追い詰められすぎて楽しくなかったことに気付きました。

まったく楽しくないというわけではなく、まだこんなにできていないと感じた時、人と比べてしまったときなど、出口のない部屋に閉じ込められた息苦しさで、自分をいじめ続けていました。

よく見られたいと、うまく思われたいと思った結果です。もちろんそういう気持ちが今でもないわけではなく、それも含めて自分なので少しずつ変わっていけるといいなと思いました。休養しなければ気づかなかったかもしれません。

本当にアドバイスありがとうございました。

Re: 限界を超える「魂をむき出せ」

回答者:大窓王

ママイクコさんナレーションの虎へようこそ。講師陣のすばらしい回答が、胸に届いていることと思います。内容的に重複する部分も多いですが私なりに書いてみます。

「限界を超える」ことは「評価を受ける」ことと必ずしも一致するわけではありません。しかし評価を受けるための突破口として、限界を超えてみるということは充分に有効だと思います。

ただしその前に注意することがあります。変化のスピードは人それぞれ違うということです。たとえそれが人より劣っていようが遅れていようが、それを受け止めてみましょう。受け止めることは苦しいことです。でもきちんと受け止められないと無駄なところでまた苦しみます。それは自我との対決、いや対話かもしれません。そして自分を追いつめるだけでなく休養とのバランスも大事です。

☆「限界を超える」これはイメージの『チカラ』です。
>自分の思いつくことは挑戦。稽古中に笑っても、叫んでも、怒っても、モノマネをして…
>声が枯れれば本末転倒。体力づくりもどこか違う気がします。

結果的にこれらは限界点を超えてはいなかったのでしょう。そして自分の中のイメージでやっていたと思われます。声を枯らしてみる事や体力づくりは「限界点を超える」または「知る」には良いアプローチです。なのになぜだか自分で否定してしまっています。

人は自分のイメージの中で生きています。だから「イメージの殻」は誰にでもあるものです。ナレーションの「イメージの殻」を破ること。それは怖いことではありません楽しいことなのです。楽しいことはラクという訳ではありません。

☆表現して人の心を動かす一つのアプローチとして、非日常的に突き抜けることがあります。

極端すぎる例かもしれませんが、興味深い記事を読んだので転載してみます。決してこれを勧めているわけではありませんよ。ただ魂を揺さぶられる『究極での限界の超えかた』です。

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『Number』(文藝春秋)542号に掲載されていた、長野五輪の金メダリスト、男子スピードスケートの清水選手の記事「清水宏保~もう一度金メダル~」より。

清水のトレーニングは、目を覆いたくなるほど過酷である。特に自転車のローラーを使う無酸素系のトレーニングは、心拍数を生命的限界の220ぐらいにまで上げ、筋肉と脳への酸素の供給を絶ちきるのだ。酸素の供給を絶たれた筋肉は痙攣を起こし、脳は脳死寸前のブラックアウト状態になる。目の前の光が消える一歩手前で自転車を降りるが、苦しみのあまり地べたをのたうち回り、意識が回復するとまた同じことを繰り返す。初めてこの練習を見たときは、不覚にも涙がこぼれた。

「やる方だってイヤですよ。このトレーニングの時は前日からドキドキしますもん。でも、筋肉を破壊しないと新しい筋肉が再生されない。ただ単に筋肉の破壊なら電気ショックを与えても出来ます。でも無酸素系のトレーニングで同時に脳も変容していかないと、いくら筋肉を鍛えても指令を出す脳の限界値が低ければ、意味がなくなってしまう。」(「」内は清水選手の発言)

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>同時に脳も変容していかないと、いくら筋肉を鍛えても指令を出す脳の限界値が低ければ、意味がなくなってしまう
このセリフにしびれました。彼にはとてもかなわない。尊敬なんてはるかに超えて、畏怖を感じます。

☆「イメージの殻」を破るには『脳を変容する』こととつながっているような気がします。そして『脳を変容する』には非日常的アプローチが有効じゃないかと私は考えています。シルク・ドゥ・ソレイユを実際にやってみようとしたら確実に脳が変容するんじゃないでしょうか。いや変容しなければとても出来るとも思わないはず。これらに比べれば「裸で踊り狂う」くらい、な~んてことないと思えてしまいそうです。

「イメージの殻」を破ること『脳を変容する』ことを楽しんでみて下さい。そして楽しいことはラクという訳ではありませんが、苦行になってもいけません。

「限界を超える」ために。その1
『魂をむき出しにして吠えるんだ!全身の叫びを』

ママイクコさんが、すばらしい表現者になることを祈っています。

Re^2: 限界を超える

回答者:ママイクコ

もし、また返信がいただけるのであれば、再度質問なのです。はじける一環として声量をつけたいなと思っています。

新人のうちは声量大事だよと言われたこともあり、以前は時間をかなりとってやっていたので毎日がらがらに枯れていましたが、今は一日おきに1時間発声(大きめの声量で)して、1時間ナレーションしているのですが(普通の声量で)、それでも枯れて、喉が痛くなります。そして5日間くらいは喉の痛みが長引きます。

休むと声量はつかないと思い、悪循環ですが痛みの引かないままやることもあります。これはもともと喉が弱いせいなのか、病気なのか、それとも一般的に2時間はしないものなのかがわかりません。しかしもし3時間の収録だったら、1時間のナレーション練習でも喉は痛くなるので、つかいものにならないのでと不安です。

発声はボイストレーニング(歌を教えている)先生に以前習った息もれのない鼻の後ろに充てる発声法です。裏声に練習もしています。しかし、時間がたつにつれ、最初はできていた息もれのない発声も声帯の疲労とともに息がだんだん漏れて読んでいる途中にしんどくなってくるのがわかります。ナレーションとは少しずれますがもしよければ教えてください。

上記の質問は別スレッドでコメントしています
https://goo.gl/H3i9Si

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